青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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吉田拓郎

いくらか晴れて暑くなった。明日は町内の清掃日だ。仕事を午後から休んで草刈りや清掃に精を出した。展示場の後ろとか普段は滅多に行かない。草や低木が生い茂り境界も隠れてしまった。道路側は歩道まで綺麗にした。 
 
YouTubeを見るようになって懐かしい曲を聴いたりする。学生だった頃に聴いたりコンサートにも行った。だからレコードを聴いたりした歌手が70歳とか聞くと何とも言えなくなる。 
 
フォークソングが流行って吉田拓郎や泉谷しげるなどのコンサートに行った。20歳前のことだが彼らはうんと年上に見えた。もちろん見る側と見られる側の違いもある。YouTubeで何気なく懐かしくて見るのだが吉田拓郎が70歳とか泉谷なんかはもっと上だろう。 
 
荒井由美や中島みゆきが家内より年上とか聞くとエッと思う。こちらも歳をとったが彼らも同じ時間が過ぎている。久しぶりに聴いても45年の歳月が一瞬だったような気がする。 
 
大学にもいかずアルバイトと遊びまくりの毎日だった。将来の希望とかましてや仕事のことなど思いもしなかった。卒業したら学校の推薦で就職するものと思っていた。運悪くと言うか就職もままならずアルバイトで生計を立てていた。 
 
あの頃の先の見えないやるせない気分が曲を聴くと蘇ってくる。やはり吉田拓郎はあの頃と変わらないスターのまままのだ。見た目が多少老けても拓郎は昔のままなのだ。音楽は人の気分や感情を一瞬で引き戻してくれる。 
 
映像で音楽を楽しむ今と違い昔は音だけの世界だった。だから古い曲を聴くと若かりし頃の拓郎をイメージしてしまう。タダで聞けるし誰の曲でも自由自在だ。現役を張ろうとすると昔のままの拓郎を見ると頑張る力が湧いてくる。まだまだ老け込んでなんかいられない。


人口減

朝は小雨もあって肌寒い。昨夜は我が家はコタツを出した。日中も気温が上がらずずっと続いたら農家は困るだろうね。確認申請図面もあって図面描きも続いている。あまり歩かないので調子が悪い。ワンコの散歩もこの雨では難しい。 
 
都知事選挙に出馬した増田氏が地方消滅なる変なレポートを出したことがある。地方衰退とか消滅可能性都市とか騒がれた。人口減は当然としても都市消滅は少し大袈裟だろう。何十年後とかならあり得るかもしれないが。 
 
私は親も家内も地方公務員である。給与とか年金の実態などもわかるつもりである。よく言われるように何かと民間よりは有利だなと思う。そして何より父などの頃より桁外れに増えたのが公務員(企業団)数だ。 
 
同じ地方都市でも中核都市になれるクラスならまだマシだ。1万人以下の小規模都市が厳しいと思う。行政運営のためには人口は1万人クラスでは無理だろう。行政の職員採用は減らしているとは言っても採用数だけだ。現役組を減らすと言うことではない。 
 
10年以上前なら今日の人口減など実感がなかった。その頃は今の採用数よりは何倍も多かった(はずだ)。その職員は30代40代で残っているわけだ。よらば大樹ではないが公務員志向が強まり受験するがなかなか狭き門である。 
 
人口減に比例して職員数削減は当然ありと思う。中核都市ほどなら余った職員くらいは新しい分野の仕事を増やして吸収している。問題は自力でできなくなったところだ。こう言うところは人口減のペースも速い。人口が減れば仕事も減る理屈で職員削減も考えなければならない。 
 
つまり都市ではなく自治体が消滅する可能性の方が高い。世の常で今絶好調でも30年後はわからない。消える自治体は公務員の天下が続かないことを示している。ついこないだのことだが合併に乗り遅れた自治体は苦難が予想される。


打って変わって梅雨らしい天気になった。1日雨でしつこくて雨量も多い。こう言う雨が降るとクレームの電話が気になる。まあ雨漏りなのだが強さではなく雨量が多いと漏る。デザイン優先の住宅ではほぼコーキングだけで雨を防ぐようなのが多い。あれは保たないだろうなといつも思う。 
 
雨漏りではないが瓦屋根の樋で苦労する。瓦は雨が降り始めや強さで落ちる角度が違ってくる。つまり雨樋に入らないで外壁などを濡らす。数奇屋などでは雨樋をつけないで砂利で跳ね返りを防いだりする。積雪地だと雪でで樋が曲がる。 
 
トタン屋根だと雨樋は幅が3寸5分(105ミリ)が普通だ。瓦は最低でも5寸(150ミリ)は欲しい。だが5寸では見た目が悪い。まるで工場の樋のようで見苦しい。しかもアンコウも立て樋もごっつい。 
 
出入りするには樋がないと濡れてしまう。妻側から入れば良いがそうもいかない場合もある。瓦屋根には銅製も多い。見た目もあって角樋で幅が130位になっている。この位無いと入りきらないのだ。銅で和風の角樋は価格も相当する。 
 
日本は雨の仕舞が建物に大きく影響する。たかが樋ひとつでも外観が大きく変わる。雨処理は家の耐久性に大きく貢献する。基本的に軒の少ないものや雨処理が難しいのは避けるようにしている。 
 
初期の頃、と言ってもつい5,6年前までデザインのために雨処理が不十分なことがあった。今だと軒は3尺(90センチ)は出しているが軒なしも過去にはあった。外壁は金属にしたり工夫はするがどうしても漏ってくる。コーキングで処理するのだが基本的には止まらない。 
 
長持ちさせるにはデザインよりも漏らないようにするのが一番だ。デザインは一時の面白さだが築50年を目指すには漏らないようにするのが基本だ。そうすると外観が昔風になりパッとしない。私は内部で工夫するスタイルがこの頃多い。見た目重視の傾向が強まって苦戦はする。しかし雨の度にクレームの電話が鳴るようではこれもまた困る。


鋸屑

今日も暑い、昨日よりは風がある。また朝から倉庫へ在庫チェック。隣の製材所が仕事の切れ目か音がしない。製材機の騒音が作業場まで聞こえる。こちらも負けず騒音だらけなので気にしたことはない。先日サイロの鋸屑を抜いてもらったので今年いっぱいは大丈夫だ。 
 
手刻みには不可欠な鉋盤は猛烈な鋸屑を排出する。建具とか家具でも鋸屑が出るのだが袋に貯めて捨てる。そんなものでも間に合うが当社では無理だろう。柱、梁だけでなく枠材とか仕上げ材まで無垢材から加工をしている。 
 
使用寸法を指定して買うとあまり鋸屑が出ない。当社では下手をすると倍近い寸法から落として作る。当然鋸屑が大量に排出される。乾燥していない場合は浅い加工ではソリが出たりする。厚みを減らしていくと中心に近い部分が出てくるので均一な乾燥になる。つまり狂いにくい。 
 
そんなわかりにくい所にこだわらないと現しの現場は完璧にできない。手刻みで現しの現場はものすごい鋸屑を出している。そう言う設備のない大工たちの苦労は何度も経験済みだ。1日の仕事が終わるとゴミ袋に詰めた鋸屑で作業場がいっぱいになる。 
 
排出設備とサイロは必需品なのだ。一度あまりに大変なので鉋がけを外注したいことがあった。仕上げ方や寸法に不満があって大工たちはやり直してしまう。職人と言う人種が良くわからなかった頃のことだ。自分で好きな仕上げ方があって意に染まないとやり直そうとする。 
 
私から見れば寸法が同じで綺麗に仕上がっていると思っていた。大工は微妙な直角の狂いや寸法のバラツキが気に入らない。ある程度腕に自信があればあるほどうるさく言ってくる。完成した現場を見ると隙間が開いたり曲がってくるのがわかる。 
 
どうしてそうなるかわからなかったが工業製品でない無垢材の特徴だ。作業場で加工した時はまっすぐでも完成後曲がってしまう。目を見ればある程度わかるが現しの現場では0.5ミリも狂うと素人でも気になる。防ぐには十分な乾燥材を最低でも一分(3ミリ)以上削らないと中心の乾燥状態と違ってくる。表面はすぐ乾燥するからだ。 
 
柱の加工では4寸(120ミリ)の仕上げに対して4寸3分(130ミリ)に製材する。乾燥や曲がりによって4寸以下に仕上がる。減らした分はすべて鋸屑となってしまう。サイロに詰まった鋸屑は大金がかかっているからクズとはとても呼べない。


役物

早起きをして自宅隣の倉庫で材木を出す。一汗かいて朝食後作業場へ行く。まず周辺の草刈りから始める。5月以来なので草が生い茂り雑木も人の背丈ほどになる。午前中かかって終わり倉庫の在庫のチェック。すぐ隣の製材所に預けてある在庫を調べる。 
 
来月から丸太を製材予定だ。挽く寸法も決まっている。丸太は製材所にあったものから選んだ。曲がりや大黒は在庫から選ぶが普通の並角が足りない。選りすぐりの丸太しか買わないから良い材木しか取れない。 
 
いくら現しだからと言っても見えない部分は多い。節のない材は見えるところや造作に使う。製材の楽しみと言えば役物(良材)がいくら出るかにある。家を建てるには並材も必要だ。 
 
役物は在庫も多く使いきれなくて在庫が多い。並材は小屋とか頼まれると必要になる。製材所にも在庫があっていくらでも買える。なのだが丸太から買うと並の丸太から良材が出たりする。他に周辺の皮の部分から小割り材が出てくる。 
 
均して考えると材木と小割りを必要な数だけ無駄なく買ったほうが安い。在庫をする必要もないし。役物は当分間に合うほどあるから丸太買は減らす予定だ。並材なら値段さえ折り合えばどこからでも買える。 
 
私もそうだが大工たちはもっと役物を使いたがる。見えない所でも狂いや割れの心配がないからだが良材の値段は高い。到底住宅に使える代物でなくなる。こだわればきりがないので本当に良い丸太だけの購入にしようと思うのだ。