青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

090-1060-9764

住宅ローン

午前中は打ち合わせ、午後は業者と打ち合わせ。合間に法務局や測量屋のところへ。せっせと図面を合間に描いているが来訪者で途切れてやりづらい。途中で止めるとまた元からやり直しになる。かと言ってそう都合良くはいかない。 
 
業者と打ち合わせていたら銀行ローンの話になった。私の記憶では新築に限らず施主が自分で金融機関と交渉して資金を用意した。こちらから紹介はあっても手続きや打ち合わせなどに立ち会うこともなかった。今はほとんどローンの世話から工事まで丸ごと面倒を見るのが普通になった。 
 
家を建てるに当たって資金をどうするか施主は一番先に考える。支払い計画は本人でないと決められない。建売が増えて専用ローン付きが増えた。そこから注文住宅であっても住宅会社でローン手続きをする傾向が強くなった。依頼心が強いのか面倒臭いのか他人任せが当たり前になった。 
 
一生に一度のことなのでローンのことを詳しい方はいない。初めてのことだから手伝ってもらったりお任せでやりたがる。車を買うのと同じ感覚と言うことだ。業者側から言えばローンを通せば仕事が取れるようになった。だからどこもローン手続き込みで売り込む。 
 
建売だったらわかるが注文住宅でも増えてきた。注文住宅なら業者を自由に選べるから自分でやるほうが良い。施主は自らの権利を放棄しているように思える。政府の景気振興策もあってローン審査の基準が緩和された。これまでだったら通らない層まで需要を広げた。 
 
ほぼ建売に近い低価格の注文住宅をゆるいローン審査で通して建てさせる。2,3年前からの傾向だ。施主も自分がローン審査に通るか自信がないので住宅会社に何とかしてもらう。そこには家のこだわりとか価格すらも二の次になってしまう危険性がある。審査は金融機関がするもので住宅会社ではないのにお任せが増えた。勢いで建ててしまって後で後悔なんてないことを祈るばかりだ。


アドバイス

今日もスカッとはしないが晴れて暑い。午前中は会計事務所の来社で午後から現場へ。確認申請や銀行提出のために図面や測量図を書く。あちこち役所を廻ったりしてデータを集める。座標がわかると測量図ができる。見積もりもできて最終金額を決定する。 
 
設計事務所だからと言っても測量の分野はよく分からない。座標計算も最近やっとできるようになった。と言ってもCADに入力するだけだが。どちらかと言うとこう言うのは苦手なほうだ。もともと文系の出身だしそもそも数学的なものが嫌だから文系なのだ。 
 
面倒なのでアドバイスをもらえるところへ頼んでいる。測量屋とか土地家屋調査士などが多い。今日も旧知の土地家屋調査士のところへ聞きに行った。測量図はどこへ行くと手に入るかとか境界線上の構築物はどこまで問題になるかなどだ。 
 
土地家屋調査士さんは同年齢で子供も一緒だ。彼のところも息子があとを継いでいる。ベテランの良いところは役所でもめた場合の解決法がわかることだ。溜まったノウハウは法の範囲を超えた解決法を見つける。違法というのではなくどこへ頼めば通せるかすぐわかるからだ。 
 
定年後とか引退後の過ごし方は人それぞれだ。自営の良いところは自分で決められることだが頭で稼げるのは有利だろう。ボケ防止にも良い。肉体的なものは無理でもノウハウを生かせる仕事はいつまでもできる。資格が必要な仕事でも経験は大事だ。頼りになるのは問題解決が必要な場合だ。 
 
彼のところはいつ行っても誰か先客がいる。すんなりと行かない場面に彼のアドバイスは慈雨のように次の展開に役立つ。仕事はうまくいって当たり前だ。ちょっとしたアドバイスで手間もかからず丸く収まるのはものすごく得をした気分になる。


豆腐

朝一番で業者から電話があり現場へ急行する。種々の打ち合わせ後昨日積み込んでおいたゴミを処分場へ。業者支払いを済ませ事務所へ。昼食に戻り午後からまた施工図面。見積もり提出もあって図面作成。明日は会計事務所の来社予定なので伝票類を整理。 
 
雑用が続いていつもの温泉に行く時間が取れない。やっと昨日久しぶりに出かけた。3時頃着くと誰もいない。まさか休みってことはないだろうと聞くとやっている。駐車場がいつもは2,30台はいるのに3台くらいしかいない。30分もしないうちにドッと混んできた。 
 
習慣になっているのでここに来ないと調子が悪い。体がほぐれなくて疲れがたまる。ここの熱い湯があがってからスッキリする。体が軽くなった気がする。夫婦ともすっかり馴染んでここでないと行く気がしない。 
 
帰り道に豆腐屋が3軒ある。日曜は休みのところが多い。2軒は休みだったり在庫がなかったりする。残りのところに寄ったらあるではないか。80台どころか90歳過ぎかもしれない老夫婦がやっている。一丁が普通のところの倍はあって硬めで味が濃い。 
 
今日は奥さんが盛岡の方へ出稼ぎ販売に行ったと言う。まさか自分で運転はできないだろうから誰かに乗せて行ってもらったろうか。豆腐屋はそれぞれ特徴があって味の濃さ、匂い、水分の量皆違う。 
 
にがりや豆の調合は秘伝だろうからわからない。軟らかくても味が濃いのも硬くても味がしないものもある。水分量のせいか食べ過ぎると腹一杯になる。昨日のところは硬めで焼豆腐に味噌をつけた田楽がうまい。ほかのところは軟らかすぎて食感が良くない。


ノウハウ

昨日は夕方から孫を見ることになりブログを書く時間がなかった。全く個人的な事情による。昨日は午後から先日の現場の取材があった。地産地消の本の取材でM氏が直接取材に来た。今日は一転してヤマセ気味から朝からムッとする暑さだ。温度差が激しい。 
 
毎日のように事務所にばかりいると体調がおかしくなる。運動不足もあるからあちこち痛くなったりする。設計作業はじっと座ったきりで頭だけを酷使する。疲れるのは頭であって体ではない。そのバランスが崩れて調子が悪くなるのだろう。 
  
完成現場へ行くと自分が設計したにもかかわらずおやっと思うことがある。思っていたより良かったり悪かったりいろいろだ。思うに現場が進行中は施主に良く見せようとか時間を減らして利益をあげたいとか考えている。仕事なのだから当たり前だが邪念の入った目で見ている。 
 
自然の美しさのように何も考えずに見ることで良さがわかる。それと同じで計算した以上に効果があって良かったり悪かったりがある。設計のノウハウはこう言う事例の中から学んだことの積み重ねだ。 
 
理論理屈の理想論や驚かせて派手な効果をあげたいなどの積み重ねから何も生まれない。設計者の中にはパフォーマンスに長けたのもいる。しかし時間の経過で積み重ねるものがない者は忘れ去られる。地道にノウハウの積み重ねがないと生き残ることができない。 
 
不滅の大記録を上げるイチローとは比べるべくもないが積み重ねと継続だけが結果を生む。一つ一つ努力を重ねノウハウを貯め少しずつレベルを上げていく。歩は鈍くても最後に立つ位置は簡単に真似ができないものになる。その差はイチローほどでないにしても少し違ったことができるようになる。


古民家

本格的なヤマセで暖房が必要なほどだ。冷たい雨が降ったり止んだり。今日も1日事務所。図面が設計の核心部分なので集中していやる。雨が降るとどう言うわけか業者もあまり来ない。なので邪魔されないですごく良いのだが。古民家風の住宅なので細部に渡って図面を描かないといけない。

古民家はどこでもやれるものではない。材料と職人と設計のノウハウが必要だ。時間の経過とともに変わっていく知識も不可欠だ。10年以上建て続けてきてもまだまだ未熟だと思う時がある。文字通り赤字を食いながら苦労して溜め込んだものだ。材料と借金が溜まる一方で知識も溜まっていく。 
 
技術的な知識は確実に溜まっていくのだがどうやって客を見つけるかは難しい。一般的に古民家風は高額である。なので裕福な方たちだ。職業は多岐にわたるが自営業が一番多い。年代も50代から60台が大部分だ。 
 
苦労して商売を続けてただ辛抱の一生と言う方が普通だ。親からもらったラッキーのもいるが大手のメーカーを好む方が多い。辛抱して資産も増えて念願の家を建てたいとなる。いくら資産があっても墓に持っていけるわけではない。 
 
夫婦で一緒の方が多くて奥さんを喜ばせたいのもある。苦労したのは自分だけではないからご褒美みたいなものだ。子供のために土地や家を買ってあげても自分達は古い家に住むのが普通だ。人生最後の奥さんへのプレゼントと言うのがあった。 
 
苦労した方は無駄な金を使いたがらない。ケチなのだが家だけは立派なものを考える。孫子の代まで使えるものを要求する。イメージ的には昔の家のほうが長持すると思う方が多い。だから古民家風が好まれる。 
 
メーカー住宅は金さえ出せば誰でも買える。古民家風は一般的に業者も少なく設計者も知識がない。同じ予算であれば古民家風の方が数も少なくステイタスとなる。さらに自分だけのこだわりを取り入れるからますます個性的になる。 
 
自分が長年頑張ってきた証を家にして残したいと言うのがある。孫子の代まで使えるなら安いとも言える。時間の経過は古民家には価値の値下がりを意味しない。人生最後の自分の生きて来た証を家にして残す。こう言う層に古民家は一番支持される。