青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

090-1060-9764

設計の世界—–建築士と設計

建築士は試験に受かってから登録して建築士を名乗る。衰えたと思った記憶力も訓練さえすれば元に戻る。いや伸びる事だってあると言うのを今回確信した。宅地建物取引主任者や福祉住環境マネージャーとか間に合った資格は全部取った。

取っても食えないので足の裏の米粒などと言われた建築士だが施主には一定の信頼を与える。仕事を取るためではなく取った仕事を遂行するために必要だった。やはり法規を勉強し申請などに知識はモノを言う。一緒に学校に通ったり前後の取得者が行政にも居るので人脈のようなモノができる。

建築士なのに知らないのかと思われないように勉強もする。間接的な効果も含め私には大きな自信になった。やはり肩書きは他人の目からも自分自身のプライドのためにも大きな価値があるようだ。妙に威張るなんてのは問題だが。100_3777

年々複雑になる法律だが全て理解するのは大変だ。一人で考えても理解できない事を他の建築士から聞くと簡単にわかる。それまで全く自分一人で営業、申請、現場管理をやってきた。しかし法の隙間を狙うような難しい建て方をするようになって疑問点が増えてくる。

行政に聞いたりしてもなかなか理解できない。たまたま瑕疵担保保険の現場検査にきた建築士と知り合いになった。申請を手伝ってもらったりしながらわからなところを聞くようになった。言わば顧問的な立場という感じだ。

本当はそう言う社員がいれば良いのだがそんな余裕がない。申請業務は慣れも必要で行政の指摘ポイントがわかってくる。書式や指摘事項の訂正法など慣れてくるとやりやすくなる。私は丸太の運搬とか製材所行きで忙しく彼のサポートはすごく効率がよかった。100_3772

設計は打ち合わせから始まって材料などの知識を駆使してプランをしていく。法的なものはわからないと無難なものになるので法の隙間のような部分を調べたりする。軒裏の仕上げなどは建築基準法では板張りも可能だが行政は防火の観点からやめるよう指摘を受ける。

家の設計は法的な部分の解決が大事でデザインなどは問題点が少ない。施主には重要でなくとも現場は別な観点から問題になる。木の家では防火上の制限が時々出てくる。申請で指摘を受けないよう十分に検討しないといけない。

最近相談者が増えているが行政に申請する建築士には向いている。施主が最初にどのような建物が可能か知らないとイメージがわかない。土地により建てる事自体が難しかったり面積により建てられる大きさが決まる。IMG_7491

どちらかと言うと住宅会社や工務店は現場取得が目的だ。業者を決める前の大雑把な相談は営業という観点しかないので向いていない。いかにして現場を決めるかが一番の目的なので仕方がない。設計事務所は相談には一番向いている。

一般的に設計事務所は敷居が高いと思われている。最近はそうでもないと思うが住宅以外が専門だとまともに相手をしてもらえない。相談する前に自分の好みや目的に合わせ設計事務所を選ぶ法が良いかもしれない。

当社は国産材を使った真壁造りで漆喰と羽目板などの仕上げを得意とする。流行りのプレカットやビニールクロス張りはやらない。これは会社のポリシーなので例外はない。なんでもできると言うのは施主には便利に思えるが得意分野がないとも言える。

法的な事は良いとして設計デザインなどに得意不得意がないのはおかしい。得意な分野は他社より優れている部分と言えるから何でもとは全て平凡という意味だ。かなり断定的な言い方だが個性的なウリを持つ事こそ設計事務所だと思う。IMG_7498


設計の世界—–一級建築士

設計事務所は県に登録するが管理する建築士を置かないとならない。管理建築士は専属で専任なのでだいたいが主掌者がなる。登録期間は5年、更新する。

最初に取得したのは2級建築士、サラーリマン時代に取った。独立した時は2級建築設計事務所だった。その後仕事も忙しく1級建築士を受けたのは12年経って平成12年だった。日建学院に通うのが普通で11年から通う。次の年の7月学科、10月が製図、結果が12月に発表だった。

ほぼ一年がかりで取った。1級建築士の有無は仕事でも行政への申請でも影響がある。他の建築士ができない仕事があってこれさえあればと言う資格である。巷での建設関連の資格では一番知名度があり施主に対して説得力もある。100_1298

独立すると仕事を続けること自体が難しい。明日をも知れぬ状態で試験勉強などできる筈がない。また簡単とはいかないから相当時間をかける。記憶力が衰え始めて時間も取れない。学校に通うだけでも大変だった。

本当のことを言うと仕事の予定が切れたのと12年経って振り返る余裕が出てきた。取らなければと言うやる気が出た。かなりの期間仕事を放り投げるから覚悟は要る。

学校の同期は落第組も含めざっと100人ほど。年齢は熱心に通った中では上の方だった。週に3回で毎回試験をして順位を発表する。2月ごろまでビリから数えたほうが早かった。毎年30人から40人くらい合格だから危ない成績だった。DSC_2585

3月頃になると脱落者が出て60人くらいしか残っていない。毎日発表の成績リストはまだ下から数えた方が早い。自分でも焦りが出て仕事も放り投げて勉強時間を増やした。事務所は弁当持参で勉強部屋と化した。

4月からは毎日10時間くらいは勉強した。家でもテレビは見ないし高校生だった子供たちと勉強した。その甲斐あってぐんぐん成績が上がり直前の6月にはベストテンに入る。後にも先にも熱を入れたのはあの時が一番だった。

その影響は娘が建築士をとる時に無言の教えになった。とにかく学科試験は38人受かってなんとかセーフだった。次は製図試験だが私は手書きの図面を描いていたから若いパソコン世代より有利だった。当時主流はCADになっていたが私はかなり遅かったので手書きが多かった。DSC_2555

製図試験は昼から夕方まで書くのだがプランを考える時間と製図時間がある。プランは予め課題はわかっているのですぐだが手書き製図の早さで差がつく。若手はほとんど手書きをしたことがないので遅い。

当時受験する若手はゼネコンの現地出張組が多かった。彼らは若く優秀で学科ではいつも上位独占だった。大学出の彼らはついこないだ迄学生だったので学科は強かった。地元組は働きながらの苦学生のようなもので成績は上がらない。

ゼネコン組は大学でも現場でもパソコンCADなので手書きの経験がない。製図試験はプランより描くスピードがモノを言うのでいつも間に合わない。学校では鉛筆で手を真っ黒にしながら苦闘していた。

建築士の難しさは学科と製図の別な才能を必要とするからだ。学科は優秀でも手書きの製図がお粗末なのはいっぱいいた。私のように経験があればスピードは早いしプランも慣れている。学科に受かっても製図試験を2回落ちるとまた振り出しだ。

苦手な学科を通って私は余裕で製図試験を受けた。そして12月の23日雪が舞い散る夕方5時頃学校からの電話で合格を知った。クリスマスケーキがそのまま私の合格祝いになった。その時48歳、県内で最年長合格者だった。DSC_2534


設計の世界—–二級建築士

私は設計士の仕事に魅力を感じても経験はおろか図面も描けない。そこでリフォームとインテリアの新しい形態の店のニュースを新聞で読んだ。親会社は仕事で通っていた会社で地元の有力建材店。

ツテもあって早速入社の希望を伝える。系列会社からの寄せ集めでスタートしていた当時の責任者には断わられた。しつこく交渉したら何とか潜り込むことに成功した。そしてリフォーム担当になり営業としてスタートした。

まず二級建築士の資格取得目指し前の会社に頼み込んで経歴を保証してもらった。これはすぐ取れてスタートしたばかりのインテリアコーディネーターの資格も取得した。東京まで受験に行ったが始まったばかりの試験で県内でも2番目のコーディネーターになった。

会社が大きいのと親会社の紹介でリフォームと新築工事がかなりあった。あったが金額が小さいのと目標金額が大きく会議では毎回上司に怒られた。3年半ほどで100件以上の物件を担当し現場管理は相当な経験を積んだ。IMG_5425②③

こちらから採用を働きかけ自分の都合で辞めるのは正直忸怩たる思いがあった。採用してくれた責任者の方には今でも頭が上がらない。いずれ独立を念頭に働いて経験まで積ませてもらったので感謝の一言である。

かくて昭和63年3月建築設計事務所を開設した。事務所は自宅、車は自家乗用車でたった一人のスタートである。サラリーマン生活が身に染み付いて朝になると出かけないと気が済まない。出ても行くところもないし電話もない。

電話は当時出始めたショルダーホンから今のような携帯電話が発売になり購入した。大枚20万円くらい払って持ち運べる本物の携帯を持ち歩いて営業した。電波塔が少なく感度も悪いので使える場所が限られる。挙句に電池の保ちが2時間ほどの待ち受けで無くなる。CIMG0220

実用にはほど遠かったがインパクトは強烈で携帯電話を見て皆驚いた。何たって電話ができるのである。今では当たり前だが当時の衝撃はすごかった。私は携帯を持ち歩くことでかなり有名になった。

当時は事務所も要らず安く上がると思い込んでいた。実際は通話料は高いし不通の範囲が広く予備の電池持参でも半日保たない。まったく役に立たないことがわかり次々と出た新しい携帯に乗り換えた。

華々しい携帯スタートの割には次第に保守的になり今では通話のみのガラホしか持っていない。スマートフォンはとうとう乗り遅れて家内と同じ機種で使い方を教えあう体たらくだ。

電話を見せながら同級生や親戚を廻って小さな仕事を取って歩いた。やはりこう言う時は昔の仲間が一番で懐かしさもあって話は聞いてくれる。手書きの図面を描きセッセと営業をして色々な会合や組織に入会した。CIMG0262

子供も小学生になってPTAの役員とか同窓会の幹事とか消防団にまで入団した。飲めない酒にも付き合って少しずつ人脈を増やした。親戚も次々と仕事をくれる。血は何よりも濃いとはこのことだ。

3年ほどして工事をしてくれた同級生の家の一階を借りることになった。念願の事務所開設である。この事務所には2年程しかいなくて家主の都合で出る時に上にある土地を買う縁になった。

ここでは机や棚を自分で作り中古の椅子を買った。この時初めてパソコンを買った。最初はNECのDOS.Vで文字を打ち込む手間暇のかかるタイプだった。1年もしないうちにWINDOWS3.1が発売になり買い替えた。

また1年もしないうちに業者の紹介でMacを知りその面白さにハマって買うことになった。当時Macはパソコン界のポルシェと言われNECがディスプレー込みで35万の時にに90万もした。平成3年頃でQuadr700以来14台のMacを買ってMac党になってしまった。CIMG0274

CADを使い始めたのもMacの時からでMinCadが最初でバージョンアップを重ねてVectorWorksになった。劇的に安くなったパソコンなのにCADソフトだけは値上がりを続けて本体のパソコンを買えるほどになった。

何度も失敗やトラブルを経験してトラックも買いパソコンも揃えた。仕事に夢中であっと言う間に10年が過ぎた。借り入れもなく売り上げも伸びて絶好調で一番楽しかった。その後は事務所を建て一級建築士の挑戦に繋がる。


設計の世界—–老後住宅

今の中高年はいつの時代も人口ピラミッドの肥満に貢献してきた。団塊の世代を中心に上下10歳前後が含まれる。平均余命も伸びて定年退職後30年は生きる。現役で働いた期間は私で38年位のものだ。退職後が思ったより長い。

年金生活で一番金がかかりそうなのは住まいだろう。40歳前後に郊外に新築して子育て終了で夫婦二人になる。定年近くなると関心は子供から自分たちの老後の家だ。

当時の作り方は部屋数優先で子供部屋が多く居間も狭い。バリアフリーなどない時代だったので階段は急で廊下も狭い。二階の寝室ではとても老後向きとは言えない。DSC_2539

水回りや外壁の傷みを補修するのがきっかけになりどんどん夢は膨らむ。ちょうど退職金もあることで話が大きくなっていく。誰でも考えるコースで建て替えとリフォームの二刀流で計画が進んで行く。

建て替えとリフォームでは金額差が意外と違わない。とは言っても土地代の差は出る。リフォームは断熱が重要だから外壁とサッシの交換になる。内装はもちろんやり変えだが大概居間を大きくする。限りなく新築に近いリフォームと言うことだ。

勤め先によるが用意できる資金は3000万円くらいのものだろう。土地購入の上新築だと少し足りない。リフォームだと土地代がないので余裕がある。土地価格も下がる時代だがそれなりのところはまだ高い。000_0557

建て替え組には便利なところに老後は住みたいと言う大きな希望がある。夫婦から一人になる可能性を考えれば離れた郊外より中心街に近い方が良い。友人付き合いにしても病院通いまで何かと便利だ。

子世代に既存の家を渡して自分たちは新築も考えられる。しかし学校の問題や通勤で街を好む傾向が強い。甘やかされて育ったので親よりも新築志向があって贅沢なのが多い。若い世代が中古住宅を買ってリフォームは思ったより少ない。

既存を売却して資金を得る方法がある。しかし古い家のまま売却は無理で解体するのが普通だ。中古住宅として価値があるのは築15年くらいまでだ。土地代にもよるが解体費も100万円以上かかるのであまり残らない。DSC_2566

もし土地が広いと二世帯住宅も別棟も可能だ。土地購入でも親子でローンを組めば可能だ。二世帯が可能ならば税法上からもメリットがある。別棟ならもっと理想的かもしれない。

どのケースでも土地の有無と資金次第なので余裕があれば新築になる。数から言うと郊外の小さな家に住む方が圧倒的に多い。売却も子世代同居も難しいと言うのが普通だ。こういう方はリフォームになる例が多い。

家を新築しても家族構成や環境の変化で直したりしないとならない。子供たちも家を出て独立するし結婚と親の退職が同じ頃になる。家族ごとにいろいろな事情で新築やリフォームの要因が決まってくる。

二世帯住宅も2棟やったがタイミングが難しい。親世帯が退職を機に未婚の子と親子ローンで建てた。3年後子供は別なところに新築して大きな家は無駄になった。もう一つは子が建てて親を呼ぶのだが2年経っても同居していない。二世帯住宅は難しい問題があって別棟の方がいい場合もある。私も息子も別棟で建てているのでその良さがよくわかる。
DSC_2596


設計の世界—–手仕事

仕事が設計なのに家の建て方の変化に疎いところがある。最新の設計の流れとかに乗っていないと思っていた。毛色の違う建て方なので最新の建材とか機能の勉強が足りない場合がある。単に勉強不足なのだが自分が興味のない分野は特にそうなる。

メーカーの営業時代は会議の連続で、新商品とかいつも新しい情報を叩き込まれていた。新しいものは必ずしも客に良いことばかりとは限らない。企業にとって良いことでも使う立場でみれば危ないことだってある。建材などはいつも問題だらけでモデルチェンジの連続だった。

企業は基本的に利益を上げる集団である。禁止されても代わるものをすぐ見つける。シックハウスが問題になって久しいが対応しない建材はほとんどない。接着剤などは一番危ないのだがすぐ禁止されていない物質を使う。似たような成分でも少し違うと許可になる。100_3755

まるでイタチごっこで企業の製品開発力は行政などが追いつかない部分がある。だから禁止されてもすぐ対応品を開発してくる。それが本当に問題がないものであれば良いが、逆にそれを機会にさらに機能をアップさせたりする。安全第一などと単純に信じるのは少し危ない。

真冬のアイスは珍しくなく暖かいのは当たり前になった。断熱が良いと言っても、室内の空気が入れ替わらないのが基本だ。当然空気が汚れるし換気をしないといけない。建材を多く使うと色々な有害物質が出てくる。換気しないとならないのだが断熱材の性能が上がって入れ替わりにくくなっている。

換気回数は行政により強制的に決められている。回数を減らせば違反になるからできない。ギリギリの回数を効率良く換気する高断熱高気密があるらしい。メーカーの言い分を聞くともっともらしいが、建物ごとに難しい計算をして決めると言うが非現実的なことだ。100_3717

数字合わせのまやかしに近いと思うが、メーカーは真剣に売り込んでくる。私に言わせれば、そもそも元から断たなきゃダメで建材使用を減らせば良いことだ。大壁とビニールクロスを止めれば格段に室内の空気が良くなる。そこは無しで金額を膨らませるために新しい建材や機械を開発する。これでは施主の負担ばかり増える。もっともメーカーはそれこそが目的で売り上げのアップが可能だ。

40年以上も業界を見ていると職人仕事をメーカーが奪うという流れがある。職人の手仕事を建材に置き換えメーカーは伸びてきた。仕事を奪っておきながら職人不足をことさらのように宣伝する。本当に職人不足かどうか大いに疑問がある。現場の職人で仕事が多くて困るという話は聞いたことがない。

少子高齢化で将来家が建たなくなるのは誰でもわかる。家が建たないと職人は仕事が減る。マスコミなどは職人不足を大げさに言うが現場では仕事のない職人は大勢いる。メーカーは行政に職人の手仕事に規制をかけるよう働きかける。100_3702

例えば道路から水道を引き込むと道路を掘る。業者の職人が2,3人と交通整理のガードマンが必ず立つ。正確には仕事内容が違うが大人数になっていることは間違いない。人手が足りなくなるのは明白で職人不足と言うのは少し変だ。ガードマン会社の仕事が増えただけだ。

メーカーにとっては職人の手仕事の分野しか売り上げを伸ばすところがない。新築需要が減れば一棟あたりの売り上げを伸ばすよりない。職人が加工して連結する配管もワンタッチの配管に変わって値段も高くなった。スピードアップで余った職人が首を切られる。

メーカーは常にトラブルがある度に改善と称して売り上げのアップの方法を探ってきた。狙われたのは手仕事の分野で建材に置き換えれた。モデルチェンジの度に強度が落ちて複雑な機能を付加して値上げする。メーカーの常套手段でその陰に職人の首切りがある。

自然素材住宅はいつも住宅会社のウリ言葉になる。建材多用の不健康住宅をメーカーとともに進めてきた。健康とか本物志向の流れをキャッチするとすぐ板を貼ったり漆喰を塗る。中身は同じだから上辺の仕上げだけで健康住宅はかなり嘘くさい。
100_3735