青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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職人の世界—–大工その4

世の移り変わりは激しい。20代から40年見てきて職人の世界も変わった。一番は数が減ったとこだろう。手作りとか手刻みが減って建材による工業化が進んだ。

伝統的な家作りは減ってなくなるのは間違いない。技の継承も廃れる運命にある。マスコミ的には珍しいのを見るように取り上げられることもある。

都市部では匠の技を残すためには高価格の現場を狙う戦略が増えてきた。数奇屋や超高級店舗などを手がける。宮大工の世界もプレカット化は進むから残る分野は少ない。
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現場では腕のある大工も電動しか使えない大工も一緒に働く。特に手間賃の差はない。技術の価値が低いと言うことだ。30年も前から気付いて鑿鉋を捨てた大工がいた。

スピード第一でプレカットも建材もいち早く取り入れるやり方に切り替えた。老舗工務店の跡取りだが腕の達者なベテランを首にして素人を採用する。
肝心の彼からして大工修行なしでサラリーマンから後を継いだ。自分ができないものは社員にも要求しない。000_0257

私が独立する前だったが一緒の現場をやったことがあった。現場監督の経験のない私でも出来の悪さは一目瞭然だった。
打つべきところに釘を打たない、ホゾが短く効いていない、ボルトの締め付けを忘れる…..。

当時親会社は地域で一番の建材会社だった。建材とともに大工も紹介されていたので変えることはできなかった。案の定施主との間でトラブルになり親会社まで巻き込んで騒動になった。

大学卒で元営業の工務店の社長は施主との間の話をうまくつけた。利益を削る結果になって早く工事したことは何の意味もなくなった。000_0272

プレカットの現場を見ていると彼のやり方が正しくてこだわる私がおかしく思える。スピード第一で端折る隠すは普通になった。見える部分しか評価されない家作りだ。

後で狂わないように差したり嵌め込んだり栓を打つとかは見えない仕事だ。完成後では見えない部分にこそ凝るのが大工というモノだ。

目新しさや目立つ部分しか評価されない現状は30年も前に彼が気付いたことだった。しかし時代の流れは彼の予想よりも早かった。000_0253

アフターやクレームに振り回されるようになる。そして若い大工が次々と独立して彼の仕事を奪う。技術レベルの低さは習得の早さも意味する。
親の残した立派な作業場はアパートに建て替えた。食品や化粧品の販売に主力を移して事実上の廃業になった。

時代の流れについて行くのは大変なことだと思う。客や取引先だけでなく不動産から機械まで引き継いでも生かせない。ましてや前向きに信念を貫き通すのはもっと難しい。彼から学ぶことはなかったが今になってわかったこともある。


エアコン

昨日も暑かったが今日も暑い。曇りがちで少しだけマシなような気がする。
事務所の窓を全開にして風を通すと我慢できる限界でエアコンをつけなくても良い。
自宅にもエアコンはないので毎年暑がりの家内に攻められる。せめて寝室だけでもと言われる。
一階の続きの和室に寝ると快適なのだが布団を敷くのが面倒らしい。私は暑い日は和室に寝る。

新しい設計をする時は通風を重視する。エアコンに頼るのではなく自然の風を通したい。
高気密は冬の暖房を主眼にしており夏はあまり考えていない。寒冷地ではどこもそんなものだが温暖化となればそうもいかない。
これから真夏日が続くこともあるので涼しく過ごせるのは大事になる。何でもエアコンではなく通風による冷房も考えたい。

薪ストーブとエアコンの組み合わせが多いが夏に使えるのも一因だ。暖房の補助と冷房ということだ。
薪ストーブは家全体に熱が回るように設計する。そのことは通風にもなる。
一階の熱を二階まで送ることは夏になると涼しくなるに違いない。ただ二階は熱が溜まることになるのでそれをどうするかだ。
ロフトを作ってそこから熱を逃がす構造にしたりする。上昇気流が発生するという感じだ。CIMG2144


職人のこだわり

昨日は葬儀で夕方までかかった。亡くなったのは103歳でたくさんの参列者があった。
これからこう言う超高齢者というか長生きの方が増えると思う。自分と配偶者、子の配偶者、孫の配偶者さらに曾孫までいる。
文字通り一族郎党の集まりになってしまう。子世代が80歳代孫世代が50歳代曾孫が20歳代になってしまいます。
これだけ集まるのはもう暫くないと思います。遠くから来る親戚もあってちょっとしたイベントのようです。

今日は図面もなく見積書類の書式を直したりブログやコラムの手直しをしました。特にコラムは長いので大変です。
原稿用紙4枚弱ですが読み返せば文章の不備や語彙の間違いなどが結構あります。これで10枚とかになるとどれだけ大変か。
小学生の時に夏休みの宿題で書かされましたがあれはシンドイものでした。頼まれもしないのに何十枚も書くわけですから疲れます。

HPの作り変えはかなり前から計画したのですがその際に職人のこととか現場のことを書きたいと思っていました。
自分の家を建てるのに職人が必要なのですがどういう人たちか良く知らないと思います。家は三分の一材料三分の一工賃三分の一諸経費と言われます。
三分の一を占める職人たちの工賃ですがだんだんその金額は減りつつあります。建材が増えて省力化が進んだからです。
手作りからドンドン離れてできたものを組むと言うのが当たり前になりました。ゼロになることもないので建て主に職人の心意気やこだわりのようなものを知って欲しかったのです。


久しぶりのブログ

ここしばらくはコラムばかりでブログはお休みしていました。今日は法事があって朝晩しか仕事ができません。法事が済んで戻ってから書いています。
明日はすこし打ち合わせがあって午後からまた葬儀。高齢の叔父叔母が多いのでこれからも続きます。
両親は長男長女なので下が一杯いるってことです。久しぶりに会う親戚ですが皆歳をとって明日の葬儀は104歳です。
モタモタしていると私の方がどうにかなりそうです。現役で頑張ってまだまだ長生きしないと。

連続で延々と続くコラムですが原稿は書き溜めてありました。直して写真をつけて1時間ちょっとでできます。
書き溜めたのはもうないのですが職人のことなどをこれからも続けたいと思います。コラムは文字数で1500字前後。
原稿用紙4枚弱、テーマが決まらないと書けない量です。ブログなどはいきなり書いていきますがコラムは無理です。
テーマを決めてあとは思いつくまま書き1,2日おいて手直しします。読み返せばけっこう間違いや思い違いがあるものです。

コラムはいつかは職人の世界を書きたいと思って溜めていました。家を建てるかたに職人はどんな人たちか知って欲しかったのです。
身内や親戚にでもいれば分かるでしょうが理解しにくい人たちです。サラリーマンが普通なので感覚がよく分からない方が多いでしょう。
独特の価値観を持ちある意味では規格外のような人たちです。話してもなかなか理解しにくいところがあります。
お上品ではありませんし勉強が苦手か興味なしが多いのです。サラリーマンだけで家ができるわけではないのでこういう人たちもいると言う事を知るのは大事なことです。


職人の世界—–大工その3

事務所を建てて21年になる。独立して6年目で土地を買い建てた。最初の借金の始まりで今に至っても増え続ける。思えば無理に借金をするのはこの時からだ。

当時借りていたところが今の事務所のすぐ下にあった。事情があって出ることになりいきなり事務所を建てようと思いつく。すぐ上のトンネル工事現場の脇に三角の小さい敷地を見つけた。

地主に交渉したら工事用に半分以上貸していると言う。トンネルの両側に工事道路ががあって皆で敷地を貸していた。三角なので貸している面積の方が多かった。残った部分だけ見て小さいし買えると思っていた私は諦めかけた。

すると借地料が入るから買えと地主が言う。向こうにも事情があって話がまとまって借地料込みで買った。以来トンネル完成まで借地料でローンを払うのが10年続いた。DSCF0008

当時母方の伯父が農地に貸家を建てることになり請け負った。総金額が大きく規模もあってそれまでの大工だけだと足りなかった。紹介を受けて近くに住む大工が人数を集めて貸家工事に入ることになった。

その工事が終わる間際に事務所建設が始まった。貸家工事と同時に宅地分譲をして建てる計画だった。つまりすぐ続けて工事があって資金繰りも余裕があった。だから頭金なしで土地と建物のローンを組んで着工できた。

その貸家工事と事務所を続けて建てた大工がHだ。私より2歳若く大手の住宅会社の下請けをしていた。合理的な考え方をして普通の大工と少し違うところがあった。付き合ったことがないタイプだった。

それまでは現場も少ないのでその都度大工を見つけていた。何棟も続けて付き合うのは彼が最初だった。大手の現場をこなすことで新しい建材とか工法をよく知っていた。それまでの大工は古いやり方から抜けられないところがあった。File-043

見たこともない金物とか工具を見せられて驚いた。彼自身も新しいもの好きで合理的なところは先輩大工と合わなかった。当時は新しい大工と思ったが手抜き工事と紙一重の危険な仕事でもあった。スピードアップするためには大手は手段を選ばないのがよくわかった。

スピードアップはコストダウンに繋がり4,5年彼と組んで建て続けた。2,3年くらいしてから現場のクレームが増え大工のレベルに問題があった。貸家のようなものでは良いが一戸建てでは通用しない。

仕上げの丁寧さとかは大工の腕による。キッチリと仕上たものは後で狂わない。スピード第一の大工は端折ったり手抜きをする。床が波打ち壁が歪む….素人にもわかる程ひどかった。安いし早いので続けたが現場管理の甘さとしか言いようがない。

そのことが反面教師になって丁寧でがっちりした仕事を目指すようになった。アフターを通して勉強したなどと今では赤面モノだ。その後はオトーサンとかTのような大工に仕事は流れるようになる。File-051

彼は今でも大手の仕事を中心に頑張っている。逆にオトーサンとかTのような大工の方が仕事が減って苦労している。悪貨は良貨を駆遂する例かも知れない。時代の流れに乗っているとも言えるが。

大手の現場のやり方を彼から学んで対抗する難しさがわかった。徹底的に大手のやらない分野に集中しないと生き残れないと思った。専用金物や建材でスピードアップを図り大工にもやり方を迫る。早く言えば手抜き工事に近い。

食っていく為に何でも有りは仕事としては面白くない。やはり施主に喜んで貰って感謝されるような家つくりが王道だ。目新しさに目が眩んで一時は喜ばれても家は長く使うものだ。いつかは信用されなくなる仕事はできない。

彼との付き合いはそれを教えてもらったのが一番大きい。おかげで国産材を使った真壁の家つくりができるようになった。