青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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私は設計士の仕事に魅力を感じても経験はおろか図面も描けない。そこでリフォームとインテリアの新しい形態の店のニュースを新聞で読んだ。親会社は仕事で通っていた会社で地元の有力建材店。

ツテもあって早速入社の希望を伝える。系列会社からの寄せ集めでスタートしていた当時の責任者には断わられた。しつこく交渉したら何とか潜り込むことに成功した。そしてリフォーム担当になり営業としてスタートした。

まず二級建築士の資格取得目指し前の会社に頼み込んで経歴を保証してもらった。これはすぐ取れてスタートしたばかりのインテリアコーディネーターの資格も取得した。東京まで受験に行ったが始まったばかりの試験で県内でも2番目のコーディネーターになった。

会社が大きいのと親会社の紹介でリフォームと新築工事がかなりあった。あったが金額が小さいのと目標金額が大きく会議では毎回上司に怒られた。3年半ほどで100件以上の物件を担当し現場管理は相当な経験を積んだ。IMG_5425②③

こちらから採用を働きかけ自分の都合で辞めるのは正直忸怩たる思いがあった。採用してくれた責任者の方には今でも頭が上がらない。いずれ独立を念頭に働いて経験まで積ませてもらったので感謝の一言である。

かくて昭和63年3月建築設計事務所を開設した。事務所は自宅、車は自家乗用車でたった一人のスタートである。サラリーマン生活が身に染み付いて朝になると出かけないと気が済まない。出ても行くところもないし電話もない。

電話は当時出始めたショルダーホンから今のような携帯電話が発売になり購入した。大枚20万円くらい払って持ち運べる本物の携帯を持ち歩いて営業した。電波塔が少なく感度も悪いので使える場所が限られる。挙句に電池の保ちが2時間ほどの待ち受けで無くなる。CIMG0220

実用にはほど遠かったがインパクトは強烈で携帯電話を見て皆驚いた。何たって電話ができるのである。今では当たり前だが当時の衝撃はすごかった。私は携帯を持ち歩くことでかなり有名になった。

当時は事務所も要らず安く上がると思い込んでいた。実際は通話料は高いし不通の範囲が広く予備の電池持参でも半日保たない。まったく役に立たないことがわかり次々と出た新しい携帯に乗り換えた。

華々しい携帯スタートの割には次第に保守的になり今では通話のみのガラホしか持っていない。スマートフォンはとうとう乗り遅れて家内と同じ機種で使い方を教えあう体たらくだ。

電話を見せながら同級生や親戚を廻って小さな仕事を取って歩いた。やはりこう言う時は昔の仲間が一番で懐かしさもあって話は聞いてくれる。手書きの図面を描きセッセと営業をして色々な会合や組織に入会した。CIMG0262

子供も小学生になってPTAの役員とか同窓会の幹事とか消防団にまで入団した。飲めない酒にも付き合って少しずつ人脈を増やした。親戚も次々と仕事をくれる。血は何よりも濃いとはこのことだ。

3年ほどして工事をしてくれた同級生の家の一階を借りることになった。念願の事務所開設である。この事務所には2年程しかいなくて家主の都合で出る時に上にある土地を買う縁になった。

ここでは机や棚を自分で作り中古の椅子を買った。この時初めてパソコンを買った。最初はNECのDOS.Vで文字を打ち込む手間暇のかかるタイプだった。1年もしないうちにWINDOWS3.1が発売になり買い替えた。

また1年もしないうちに業者の紹介でMacを知りその面白さにハマって買うことになった。当時Macはパソコン界のポルシェと言われNECがディスプレー込みで35万の時にに90万もした。平成3年頃でQuadr700以来14台のMacを買ってMac党になってしまった。CIMG0274

CADを使い始めたのもMacの時からでMinCadが最初でバージョンアップを重ねてVectorWorksになった。劇的に安くなったパソコンなのにCADソフトだけは値上がりを続けて本体のパソコンを買えるほどになった。

何度も失敗やトラブルを経験してトラックも買いパソコンも揃えた。仕事に夢中であっと言う間に10年が過ぎた。借り入れもなく売り上げも伸びて絶好調で一番楽しかった。その後は事務所を建て一級建築士の挑戦に繋がる。