付き合った中で一番年配の大工だったオトーサンさん。70代だったが動きは機敏で目つきも鋭くいかにも昔の棟梁らしかった。
建てた家を見て気に入った私が大工の名前を聞いて会いに行った。当社からは少し遠く片道一時間近くかかる。こちらからお願いした手前少々高くなっても止むを得ないと思っていた。
当時はプレカットが主流になり始めて大工たちもやりたがった。私的には違うと思ったので大工を探さなければと思っていた。通りかかった家を見てピンときて見せてもらった。
自分がやりたいと思う家だった。曲がりも使って漆喰で仕上げてあった。デザイン的には見るべきものはなかったが構造は気に入った。
最初の現場は私の自宅の近所だった。若くて何でも自分でやりたがる施主だった。小さく外観も若者向けだったが内部の古臭さとギャップがあった。
棟梁は弟子たちからオヤジとかオトーサンと呼ばれていた。私たちは親しみを込めてオトーサンと呼んでいた。
オトーサンは曲がりや大黒を使って古民家そのものを建てていた。曲がりは手斧削りで初めて見て少し感動した。
お医者さんの瓦の載った古民家風を予定していたので続けてやってもらうことになった。オトーサンとはこの二棟しか付き合いがない。
新しい家つくりを考えたので別の大工と付き合ったからだ。いずれ古民家風をやるときはお願いするつもりだった。
さすがに伊達に歳は食っていない。古民家風ではない現役の田舎の家つくりの知識は豊富だった。覚え始めた木の種類やきこりから聞いた知識があったので急激に木に詳しくなった。
曲がりの作り方や倉庫を見せてもらってどう言うのを在庫するか教えてもらった。体は動かさない知識だけの弟子入りみたいなものだった。
オトーサンの周辺はかなりの過疎地になる。農業以外さしたる産業もなく人口が減る一方だった。
大工たちも出稼ぎも多く地元の仕事が減ってオトーサンも苦慮していた。弟子たちがいるので何とか地元で仕事をと言う時期だった。
農家の二、三男が口減らしに小学生から住み込み弟子入すると言う昔の習慣がそのままだった。だから弟子たちには文字通りオトーサンであって実の親以上だったろう。
オトーサンも弟子は子供だから仕事探しに引退する暇はなかった。
そこに飛んで火にいる何とやらで突然仕事が舞い込んできた。本気で当社と組んで仕事をと思っていただろう。
色々あって当社も何社か大工を抱えようとしていた頃だった。たまたまオトーサンにふさわしい仕事がなかったのもあって2,3年縁が切れた。
特産のニンニクをぶら下げて事務所へ遊びに来たこともあった。古民家風でない家つくりに夢中になって忘れかけていた。
オトーサンは現場仕事をしない棟梁でペースも遅かった。腕は問題ないが海千山千のオトーサンは駆け引きが上手で安くはなかった。あれから10年以上になるが今に至るまで仕事がオトーサンのところへ行くことはなかった。
最初に建てた現場を大学生だった息子が遊びに行って見ている。何も言わずじっと大工たちを見ていた息子はそのとき何を考えていたか。のちに大工になりたいと言ったときそのことを思い出した。
今年に入って息子が現場で働いているオトーサンを見たと言う。80代になっているはずだから弟子たちのために今でも引退でしないで頑張っていると言うことだ。私の息子を見て目を細めて思い出す風だったと言う。