青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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一緒の時間が一番長い大工。出来不出来を左右する一番の職人。付き合った数でも喧嘩をする程深く付き合うのも全て私にはキングオブ”職人”だ。
独立前から何人も知っていたし性格まですっかりお見通しの仲になる。年齢的にも近いのが多かった。

中でもナンバーワンと言えるのがTで歳は二つ下……だと思う。大工は私的なことは触れたがらない。作業場と電話番号が全てであとは良く知らない。
そのころ付き合いのあった家具屋から紹介された。携帯の日付を見ると18年2月。腕が良くて仕事が早いとの触れ込みだった。

最初の現場は自分の山から出した唐松で作るログハウスのような家だった。唐松は狂いやすくヤニも多くて現しに使うのは少ない。杉などに比べ硬くて加工しにくい。
今だったら止めた方が良いとか手間がかかるとか揉めたかもしれない。最初というのもあって黙ってやることになった。100_3473

今から思えば無謀で全て唐松の6寸角を使った。柱も胴差しも桁も唐松だけだった。通し柱も多く建て方の時は雨で苦労した記憶がある。
それまで付き合ったどの大工よりもスピードがありどんな難しい注文でもできないとは言わない。こちらが無理かもと躊躇するようなのも黙って作る。

その家は6寸角を縦横使って材の寸法が共通化してあった。その後の規格型の家つくりの最初の家だった。普及し始めたプレカットに対抗して何か新しいモノを考えていた時期だった。
大工も付き合いがない新しいのをと思っていた。どうしても馴れ合いがあるので妥協してしまうからだ。

後にその時の仕事で苦労したと漏らしたことがあった。私も新しい企画で大いに乗っていた頃だった。
完成見学会は来場者が多くて今に至るまで数を更新できない。デザイン的にも斬新で大きく見栄えがしたと思う。あふれた来場車にパトカーが出動する騒ぎだった。CIMG1924

何よりスピードと飲み込みの早さに私もゾッコンで次々と建てた。私の家つくりが一番進歩した時期と重なる。
古民家風から規格型のローコストまで試せることは何でもやった。そして当社のイメージが固まった時期でもあった。

彼は木にはこだわるので丸太買いが増えてちょうど良い具合だった。倉庫も借りて在庫も増えて次々とこだわりの家を建てていった。
木にこだわる余り大工の技術に無理がかかるような設計もした。そのことで喧嘩をしたが怒るだけの私より彼の方が大人の対応だった気がする。

家大工で修業し親方は宮大工もしたことがあると言う。兄弟子は宮大工になり彼も手伝いに行ったらしい。
息子が帰ってきてから宮大工との違いがわかるようになる。やはり家大工であることが後で理解できるようになる。一番の良さは何と言っても頭の良さと早さだったように思う。墨付けから刻み、加工すべて要領が良く間違わない。
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それ以前の大工たちが一月かかったことを二週間ほどでやってしまう。自分だけでなく使っている大工にもスピードを要求する。その早さは今まで見たことがなかった。
欠点は彼が払う手間賃が高いのに大工が辞める事だった。追いていけるのしか残らないからだ。

現場では労災関係のきまりを守らないところがあって何度か監督署に怒られた。そしてついにヘルメットも被らず落ちて救急車で運ばれる騒ぎになった。
昔気質の大工に多いことで親方が守らないと弟子も守らない。コッテリと監督署に絞られた私はその後は現場管理に注意をするようになった。

私の成長期とも重なり彼と出会ったことは大きな変化だった。家つくりの基本が固まり設計にも自信が出てきた。
息子が帰って来てから少し彼とは縁が切れている。自分のところの作業場が出来てトラックも用意したのでよけいだった。60歳はとうに越した彼もペースが大分落ちたと思う。お互い歳に合わせた仕事をしてできるだけ長く頑張りたいと思っている。