青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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設計の世界—–初期の設計

独立して最初の仕事は紹介された女性の一人住まいの家だった。平成2年3月22日の確認申請の控えが残っている。私が40歳施主43歳…..独立2年後まだ若かった。

施主は自営業者でいわゆるママさん。夜遊びも酒も飲まない私には一番縁が遠そうな施主だった。とにかく夢中で取り組み建てた。以来25年40棟くらいは建てた。サラリーマン時代も10棟以上関わった。自分で設計した訳でないから関わっただ。

住宅会社の設計部に所属していたらこんなものでなかったかもしれない。しかし施主と会って設計し管理したと言う意味では一年に2,3棟くらいしかできない。誰かが間取りを決め申請しただけならもっとできるだろうけど。142

それで第一号の家だが外材で大工の手刻みで建てた。当時は国産材の流通が少なく外材が主流だった。今と違ってこだわりもなく手に入るもので建てている。多分こだわればまだ国産材は豊富にあった筈だから私にこだわりがなかっただけだった。

総二階で一階が駐車場と二階が喫茶店と居間になっている。工法も材料も何のこだわりもない平凡なつくりだった。当時はその程度のレベルだったと言うことだ。事務所を建てる平成6年頃までとても設計者と呼べるレベルでなかった。

夢中で仕事をしながらその中で経験を積み知識を蓄える。本当に設計者らしくなったのは山から木を出して建て始めた頃だった。面白さに目覚めて山を見て歩いた頃から製材所が廃業し丸太価格が低迷し始めた。122

私が使う丸太の量は知れている。大型物件が減って苦境にあった山関係の職人に歓迎されたのは幸運だった。最盛期であれば相手にもされないことも何でも可能になった。立木2,3本でも伐採搬出してもらえた。

太くて目の綺麗な曲がりなども手に入るようになると現場で使いたくなる。乾燥の何たるかも知らない私は未乾燥でもどんどん使った。赤松の大梁が割れて大騒ぎになったり隙間ができてアフターで苦労した。

材料の確保もさることながら大工のレベルが問題だった。こちらの意図する工法がかっての全盛期を経験した大工ですらやれなくなっていた。プレカットとほとんど同じ安易な刻みしかできなかった。97

作業場には機械もなく動かす設備もない。こうしてプレカット業者は簡単に大工たちの作業場を変えていった。逆に私は本当の大工探しに気に入った家を見て歩くようになった。こだわった家に住んでいる方は見知らぬ私にも相手をしてくれるのがありがたかった。

まず取引業者の自宅から始まり次々と地元材100%の家つくりがスタートしていった。丸太から製材すると必要な材木が余ってくる。材木店から買うと必要本数で済むが製材は多めに挽く。余りを預けたり倉庫をを借りたりトラックも用意する。

こうなると設計事務所と言うより工務店に近くなる。自宅の脇に倉庫を建て乾燥のために材木を動かす。借りていた倉庫も在庫で満杯になりとうとう息子が帰ってきて本格的な作業場を作った。File-043

こうやって振り返ってみるとかなり無茶をしたなと思う。丸太から出して家を建てるとコストが上がってしまう。材料コストは下がるが運賃とか倉庫代とか間接経費が膨大にかかる。在庫の山は同時に借り入れの金額が増えることを意味する。

上棟式で見ている材木は1年以上も前に山から出して支払いも済んでいる。それを回収するのにかなり時間がかかるのがわかっていなかった。増える丸太代は借り入れで賄い後で回収できる筈だった。

そもそも丸太から製材すると角材の他に板材とか小割材と呼ばれる細かい材が出てくる。これを全て無駄なく使ってこそコストが下がる。ところが乾燥時に曲がり割れたり雨ざらしで腐ったりロスが出る。そのロスを計算していなかったのだ。

地元材で建てると良い目とか無節にこだわる。そういう材を挽くために非効率なことをしてしまう。俗に言う歩留まりが落ちる訳で太くて高い丸太を多めに買ってしまう。これではコストが下がらない。こうして高い勉強代を払うことになる。


設計の世界—-設計者

堅苦しいことばかり書いてぶっちゃけの話が少ない。テレビでも”ぶっちゃけ寺”なんてお坊さんタレントが増えそうな番組がある。本当は楽しみながら家作りの参考にして頂けばと思っていた。これまで設計した中には他人には言えないような失敗もたくさんある。

どうして設計屋になったか前回に書いた。自分以外の設計屋さんに自宅を作ってもらって面白さに目覚めたわけだ。営業などやるより設計屋が面白そうだ…..これだ。住んでから面白さが分かったこともある。

設計者は基本的に自分の感性の及ぶ範囲でしか作れない。施主の希望が何であれ基本的には自分が納得するモノを作る。良いと思わないモノや嫌いなモノはやりたくない、当然である。しかし営業マンは自分で商品を選べない。会社から指示されたモノを売るだけである。DSC_1801

ところが設計者は違う。例外はあるとしても自分の好みに合う仕事をやれる。必ずしも思い通りでなくとも得意で好きなことをやれる。ここがポイントで設計者に仕事を依頼しようとするなら大事なことである。

大工工務店や住宅会社は尋常でないこだわりを持つとか偏屈なところは少ない。基本的にはなんでもOK、多少の食い違いがあっても施主の言う通りに作る。設計者はそうはいかない。自分の価値観を押し付ける、あー言えばこう言う、他人の悪口は止まらない。設計者に依頼する場合はこうでなければとか他所ではこうだとかは禁句になる。

設計者の持ち味を活かせるように持っていかないとならない。とにかく丹念に調べ探す努力をするしかない。こだわりも何もない方は住宅会社とか工務店に行ったほうが良い。DSC_2795

得意分野とか自分の持ち味を発揮できる仕事は誰でもやりたい。嫌いなことや自信がないことはやりたくない。逆に言うとこだわりや得意分野のない設計者は設計者でない。代理申請だけの代行業だと割り切っているのもいる。それも一つの仕事ではあるが。

一つのことを掘り下げてしつこく調べてくどくなるのは止むを得ない。そうやって仕事を覚え今までやってきたのである。それまでの経験と知識を活かせないのであれば意味がない。設計者とはそう言う人たちである。

わかって頼むのであればもしかすれば依頼者が思いもかけなかったすごいモノができるかもしれない。素人である依頼者に代わり専門知識を絞り出し頭を悩ませて考えてくれる。四六時中考え続け浮かんだアイディアを図面化して期待に応えようと頑張る。DSC_2799

依頼者が自分の好みに合う設計者とめぐり合うことは大変ラッキーなことだ。自分のして欲しい事を代わりに考え具体化してくれる。まだ見た事がないモノに心配な方もいるでしょう。ここはやはり自分と好みが一致することで納得するしかない。自分の想像を超えたモノを見ることができると信じるしかない。

施主に喜んでもらうという簡単なことが中々難しい。設計者も自己満足や次の仕事に向けてアピールできるモノを欲しい。誰でも欲はあるから時に施主の意向に反することもある。有名な建築家の先生にも自分のPR第一と言うのもいる。

施主が不満を持ったりトラブルとしたらこう言う自己中心的なところだろう。できたモノに対する不満より対応や作品主義的なことだろう。プライドが高く学歴や資格に相当自信を持っているタイプに多い。もしそう言うのに当たったら別なところを探した方が後々後悔しないで済むかもしれない。

神経質で煩そうな設計者だが根は真面目で融通が利かないのがほとんどだ。それぞれ得意な分野を持ちその分野で仕事が来れば最高だと思っている。会って話して現場を見て判断するよりない。少なくとも工務店や住宅会社では望むことができない家作りになる。100_3719


HPを変える

梅雨明けしたのかわからないまま暑くなる。今日は雨の予報が晴れる。
ここ2,3日ブログの作り替えやら書き込みで忙しかった。コラムも溜まって増えすぎたので別枠を作った。
職人の世界から設計の世界を分けた。家を建てるにあたり参考になればと思っている。
やっとHPも1ヶ月経って数も増えてきた。

家を建てるにあたりネットで情報を集めるのは一般的だ。検索をかけて見たいところを探すのだろう。
企業のHPは自社の案内とか工事歴などを載せている。ポリシーとか他社とに違いなども書いてある。
見ている方は何を目的でHPを見るのかだ。どんな材料がとか仕上げはとかデザインはなど知りたい知識を得るのが目的だ。

どこのHPでも載せているようなことばかりでは何回も見てもらえない。他所では知り得ないことやいっぱいしかもいつも更新されていることなどだろう。
なんでもオリジナルで独自の物は強い。差別化はHPにおいてもしかりだ。
もちろんいつも新しい情報がないと何度も見てもらえない。いつ見ても新しいのが載っていることも肝心だ。


設計の世界—–設計事務所

設計業務の中には施主の意向を聞いてする本来の設計と行政への申請業務がある。設計事務所と名乗っていても申請業務が主力なところが多い。逆に設計はするが申請は他の設計事務所に依頼するところも多い。

確認申請は本人申請が建前だが設計者は建築士でなければならないので建築士が代理申請する。法に則しているかどうかが問題なのでデザインとか設備等の性能などは関係がない。逆に言うと一般的に思われている設計と少し違うところがある。

使い勝手とかデザインのような設計ではなく法的な部分の申請になる。間取りやデザインを決めたところとは別の事務所の代理申請もある。設計事務所と呼ぶには少し違和感があるが申請業務が主のところも多い。
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設計事務所に設計を依頼する施主は増えている。建築士の資格を持たなくても設計はできるが代理申請はできない。現実には設計事務所に設計だけ依頼する例は多くはない。工事込みの一括の設計が多い。設計業務は独立した業務でなく住宅工事の一部になっている。

本来は設計と監理を設計事務所へ依頼し工事は建築業の免許を持った業者に依頼する。ところが建築業者の方が営業力もあって施主から仕事を取って来るのが多い。社内建築士がいて設計監理をするところと他社に代理申請を依頼するところがある。

代理申請業が主で仕事を依頼したくても知名度も営業力もないので住宅会社などに行ってしまう。逆に住宅会社の営業マンが間取りを決め設計の真似事をする例もある。法的な問題点を代理申請する設計事務所が修正して申請する。笹野邸完成100_0108100_0

都市部の一部の設計事務所は設計を請負って工事は指名業者が工事する。工事の流れが設計事務所の意向に沿って進む。だからあくまで設計図通りの仕事が進むことになる。

ところが地方や設計事務所が少ない地域ではあまりない。施主は住宅会社や工務店に仕事を頼み申請だけ施主の知らない設計事務所が申請する。設計とは名ばかりになので監理業務は適正に行われているとは限らない。もちろん法に則り適正に代理申請するわけだから工事監理者に責任は生じる。

問題は施主が自己実現の為に設計を設計事務所へ依頼する以外は実務の実権が設計事務所でなくなっていることだ。もちろん代理申請の段階で法的な間違いは正されるから問題がない。申請の内容通りになっているかどうかの監理責任が曖昧になる。現実は元請け業者の意向が一番強く検査の時点で設計者がチェックだけする。笹野邸完成100_0069100_0

こだわった家つくりや個性的なものを求めると全ての設計事務所ができる訳ではない。設計はできても現場経験が少なく知識も十分でない。建築士の資格取得は現監理能力とは別なので本当の木の家の経験はない。住宅会社から独立したところ以外は木造の設計は得意ではない。

木造のイロハを知らないものはデザインとか設備、断熱とか一部の機能だけで勝負する。木造は本来木の扱いが慣れてないものにはできない。住宅は構造計算もなく簡単なのを良い事に表面的な見える部分だけのデザインしかできないのが多い。

木造の構造による表現とか素材を活かした設計の部分で勉強する機会がない。経験のないものはウリにはならないし新たに勉強するところもない。建築士の試験を取っただけでは設計はできない。経験のある大工は資格を持っていない。伝統的な地域材を使った本格的な家つくりが減った理由はできる設計士がいない事だ。笹野邸完成100_0058100_0

プレカットの大壁の家は木の設計をするものにはあまりに魅力がない工法だ。木そのものが見えないし石膏ボードの上に薄い板を貼って集成材の梁現しではとても木の家とは言えない。木の家の設計を志しても肝心の材木が手に入らない状況では大変な困難が伴う。

地域材の流通が破壊されてしまった現在では乾燥した良材を手にするのは難しい。設計するものも減れば真壁の木の家作りは一部のマニアか高級住宅のみになってしまうだろう。当社も地域材の流通が途絶えた時に手つくりの家をどうやって建てるか今後の悩みではある。


設計の世界—–建て方の変化

家の建て方の変転は激しい。昭和49年以降41年業界に身を投じてそれを見てきた。高度成長期の経済発展のおかげで庶民の新築意欲は大いに高まった。私は54年結婚を機に父の敷地の一部に新築した。当時珍しかった設計事務所へ依頼し少しだけ目立つ小さな家だった。

外部はアルミの二重サッシとサイディング張りでアルミ製のドアは冬になると凍って開かなくなった。室内は普及し始めたビニールクロスとベニア製の床材で気休めに近い薄い断熱材が入っていた。何度かのリフォームを経て昨年息子たちによって建て替えられた。

新築当時はメーカーの営業で設計には直接関わらなかったが知り合いの設計事務所へ依頼した。最初の設計が他人だった事とさしたる自分の思いもなく建てたのだがその後の設計に大きく影響を与えた。設計と言うものの力が理解できたことが大きい。DSC_3797

当時は大工、工務店が主力で住宅会社が出始めた頃だ。国産材の不足と未開発国から輸入される南洋材と北欧材が多かった。建て方自体は手刻みで在来工法なので技術的には大工には受け入れられる。

安い外材と省力化された建材の普及で鑿カンナを捨てた大工が続出した。職人である大工から請負業に乗り出して新築現場は金のなる木と化した。建材メーカーもシェア獲得のために大工たちに飲ませ喰わせの泥臭い営業を仕掛けた。韓国やタイに大工たちを連れて行って遊ばせるそんな時代だった。当然現場は値引き競争の場になった。

家の価値が安さにある時代にデザインとか性能を追求するのは少数派だった。質より量の時代に腕の良い職人は自分より下手な元大工に手抜きを強要される始末だった。黙っているより口八丁手八丁の大工や工務店が幅を利かせた。
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メーカーもシェアが固まってウリがコストダウンから高性能とかデザイン競争に変わってくる。儲ける事に夢中な大工たちに代わり営業マンがいる住宅会社が伸びてくる。営業コストがかかるので高価格になりがちでカバーするために高気密高断熱が増えた。

平成になって木材が話題に上らなくなり大壁な事もあって安いだけが取り柄の外材が大いに普及する。製材所や材木店が減って国産材の丸太価格が下落した。建材も新たな技術も出尽くしてデザインがウリの差別化になった。

営業で大工たちや設計事務所を廻って建て方の違いに気がついた。大工の建てる変化の乏しいありきたりの家から見れば設計事務所は夢のような家だった。実際に建てて見た目だけでなく住み心地まで体験できた。設計の力に大いに魅力を感じた。
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しかしその家も10年も住むと欠陥も目につきデザインにも流行がある事に気がつく。デザイン優先の家つくりは構造や施工法に無理をかける。耐久性重視は設計事務所のウリになりにくい。変わったデザインと賞を取れるような目新しさが優先される。

軒先のない外壁は雨に晒され腐りやすい。設備関係や断熱材は目に見えないこともあってコストを削る。10年も経たないでボイラー交換や雨漏りに悩まされ断熱不足と空間の大きさは真冬に寒くて大変だった。大壁つくりで中の外材の柱は蒸れて腐りかかってカビ臭い。

古臭い大工たちが建てた家のイメージから逃れたい。そのことがデザインの基本になって長保ちする家から保たない家に変わった。長年かかって大工が進化させてきた技術が否定される。軒が深くて柱現しの真壁つくりが減ってプレカットにより集成材に変わった。

昔の大工たちは柱や梁で構造とデザインの両方を融合させて素材で差を付けた。太さや大きさが施主の要望に応えて山から出して使われる。構造自体がデザインの主力になる訳で素材の力は大きかった。長く保つ家つくりは耐震や腐朽に抵抗するように仕口や接合の技術を進化させる。

デザイン優先の家に住んだことは家つくりの基本を学ぶ上で役に立った。古い家のリフォームや自分の設計した家の手直しで学んだことも大きい。設計者の体験で学ぶことは大きいし自信にもなる。そう言った経験のないサラリーマン設計士や設計する機会の少ない者はハンデがあると言える。
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