平成22年の春展示場の見学会が行われた。その時の来場者数の正確な記録がない。2月20日と21日に雪の中を50組くらいだった。自信と不安の混じった中で大勢の相手で疲れたとある。その時に新しい客は見つからなかったが予定者がいて説明をした記憶がある。
こちらの勝手な期待とは裏腹にその後の展示場への来場者数はイベントを除くと年に5,6人くらいだった。また実際に見た方もそれほど参考になったような感じがしなかった。やはり大きすぎて実際に建てるイメージが湧かなかったかと思った。フーンとさして興味のなさそうなのが多かった。
そんな苦労とは別に宣伝効果もあったのか別な現場の見学会は盛況だった。展示場の広告効果は思いがけない形で影響が出てきた。その年は現場が多くて見学会を予定したところが多かった。どこも盛況で数が多くしかも有望な来客が増えてきた。
調子に乗った私は大工の組を増やして現場を並行して進めた。打ち合わせもあって忙しく現場へ行く回数が減ってきた。材料の無駄や破損、発注ミスなどが重なる。せっかく現場の数が増えて工事高も増えたのに粗利が少ない。
儲からない仕事はしない方が良い。後でわかったが付き合い始めの大工たちが管理の甘さを良いことに手抜きをするようになった。自分ではこだわって設計した部分を指示の甘さと勝手な変更で台無しになってしまった。
施主にはわからなかったことだが意図したこちらはがっかりだった。あっちもこっちも現場だらけでしかも次もあるので忙しかった。大工任せはご法度なのに忙しいとそうもいかない。このことは後で雨漏りというクレームでしっかり授業料を払うことになる。
現場は見に行く回数と出来上がりの良さは比例する。管理は現場へ行くことでしかできない。その時学んだのは設計よりも現場管理が重要だと言うことだった。逆に見栄えのために凝ったりしても5年もすると平凡に見えることだった。安易な設計よりしっかり現場管理をすることを学んだ。
展示場開設後2年ほどして古民家そのものにこだわる客が出てきた。前に一度瓦の乗った古民家風を建てたがその後しばらくなかった。瓦葺きの大きな家で玄関はドアとか中半端なところがあった。見学会に本格的な古民家風を志向する方が出てきた。
私的には古民家風をやりたいと思っても数が少ないと勝手に思っていた。マニアの世界に思えたからだ。展示場もあって資金繰りも増えて大変だったので現場数を確保することを優先した。
忘れていた訳ではないが曲がりや大黒柱の在庫も増えて渡りに船という感じだった。二組いた大工たちもいろいろあって一組減ってまた大工探しが始まった。本格的な瓦葺きの和風住宅が二つあっていつもの大工の他にもう一組探した。帰ってきた息子をそちらにつけて刻みをやることになった。
帰ってきたばかりの息子の腕は私には未知数だった。それもあってベテラン大工のところへ息子を派遣し向こうで刻みを開始した。作業場も借りて順調に見えたが大工の腕があまりにひどい。一番アテになるのが若い息子という塩梅だった。ベテラン大工の筈が全部息子の指示で動くと言う有様だった。
何とか息子が毎日通って刻みをして上棟した。休みの多さと仕事の遅さは歴然としていた。怒った私は別の現場の大工を呼び寄せ交代させた。こうやって途中で大工が変わると言う失態をやってしまった。唯一の収穫は息子が刻みも加工もできると言うのがわかったことだった。
完成後自前の作業場を作り息子が棟梁として一人立ちすることになった。秋田で修行した息子は大工仲間がいないので相棒を探さないとならない。たまたま宮大工の会社が廃業し大工が余っていると聞いてスカウトした。息子も宮大工上がりなのでうまくいくと思った。