今年に入って縁のある職人が亡くなった。職人とは言っても経営者であり営業でもある。サラリーマン時代から付き合いがあって独立後も取引があった。外構工事専門業者で基礎工事や土留め工事などもやる。門扉、塀、車庫工事が得意だった。
彼の良いところはデザインが出色で多少金額が高くとも出来栄えがカバーする。新築すると必ず必要になるエクステリア関係は競争も激しい。工事自体は難しくないがデザインはできる業者が少ない。彼はデザイン感覚が優れていて他者を圧倒していた。
自分のデザインには相当自信を持っており見積もりも強気で値引きもしない。と言うより他の業者は工事だけが目的でデザインは施主や設計者にお任せが多かった。プロとしての提案もなくなんの魅力もなく最新の材料の知識もなかった。そういう点で彼の仕事は際立っていた。
エクステリアプランナーとしての才能は高かったが営業も強気で工事費が高い。サラリーマン時代は親会社の意向もあって彼のところしか使わなかった。いわゆる指定業者だった。デザインに優れているので施主には喜ばれることが多かった。
私と中学が同じだった彼は、創業者の親がブロック積み専門業者としてスタートした。20代の頃から経営者として後を継いだので、年齢の割には老けて見えた。引き継いだ職人たちを動かすにはその方が良かったのだろう。とにかく若くして経営と営業で後を継いだわけだ。
彼のウリはもちろんデザインでパースもうまく勉強熱心でもあった。業界のリーダー的存在でメーカーや問屋の講師などもやっていた。大手の住宅会社にはほとんど入っており良い物件の多かった。額の張る良い物件でないと外構は見栄えがしない。
外構業者には主に土木業者と庭園業者が多い。道路工事なども請け負う大手にもなれず、庭師でもない中途半端な業者が多い。職人を4,5人使って住宅の外構など小さな工事が主だ。
若くして経営にタッチして他の経営者仲間との付き合いにも熱を入れた。ロータリークラブとか年上の経営者から可愛がられたようだ。いつしか自分もそのような大手と同じだと勘違いしたような形跡がある。相手は従業員が数百人規模なので経営感覚が違う。
かなりの借金をしてホームセンターを開設することになった。経営者仲間のアドバイスとか下世話な言い方をするとそそのかしに乗った。絵に描いたように2年ほどで倒産し莫大な借り入れが残った。本業である外構の方も支払いが滞り評判を下げた。
当時私はようやく新築工事が軌道に乗り、外構は基礎業者に任せていた。彼に見積もりを依頼するとすごく金額が高かった。予算から言って無理な金額だったからだ。デザインは私が描いて基礎業者にやらせていた。その後も新築工事に忙しく外構は他業者に任せたりした。
彼が厳しい環境なのは知っていたがすぐ取引再開にならなかった。デザインに自信を持つあまり予算的に厳しいのが原因だった。プライドの高い彼は下請け業者として仕事欲しさに値引きすることがなかった。そうやって私は彼と仕事の縁が切れていった。
それから10年ほどして共通の知り合いであった施主に外構の仕事を欲しいと電話があった。私は新築工事を彼は外構と別発注になった。別とは言っても同じ現場なのだから工事は重なる。打ち合わせも必要だし協力しないとできない。ところが彼らは自分たちの都合第一で現場が混乱することばかりだった。
昔の彼を知っていたので驚いたが借金返済が厳しいのか、工事のやり方も酷かった。何度か是正を頼んだが徹底的に自己中心の姿勢は変わらなかった。仕事のレベルもかなり低くなって往時のデザインも色あせていた。
職人らしさがあった時は仕事も丁寧だしデザインも素晴らしかった。ホームセンター倒産以来彼はすっかり変わってしまったようだ。デザインをする職人としての彼は才能に溢れ現場の職人も丁寧だった。いつしか自分の枠を超えた付き合いや慢心はすっかり変えてしまったようだ。
その後も彼に仕事の依頼をしなかったし、付き合いも全くなくなった。その後地元では仕事がなくなったので遠くの現場をやるようになった。四国まで現場があって飛行機で移動するというスサマジさだった。その飛行機のなかで過労から心臓麻痺で亡くなった。
職人は殻に合った仕事をするべきだとその時思った。自営は見栄を張ったりプライドを持ちすぎると破綻する。地道に客相手に丁寧な仕事をしていればこんなことはなかった。30代でこの道に入った私は年下の彼から学ぶことは多かった。身の程を知ると言うのは大事なことだ。