青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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職人の世界—–自分の木で建てる3

今まで伐採した現場はいくつになるだろうか。昨年だけで2箇所ほど伐っている。伐るだけで建てなかったのが多い。年中木を買うのであちこち伐る現場はある。在庫との調整もあるので無闇に買うと資金繰りで苦労する。伐り出しすると全部買い取りなので在庫も増える。

伝票を見ると2013年が一番多かった。現場もそれに応じて多く並行して進めていた。伐採の多さと現場の数は関連がある。逆に言うと山から出して建てようとする方が多く来る。それほど伐採と弊社の仕事は関連が深い。経験の数は自分の木で建てるためのノウハウもあると言うことになる。

最初に伐ったのは国産材を使い始めた18年前だった。親戚の工事があって山持ちだったので森林組合の協力で出した。それまではスプルスとか米松の輸入材が多かった。少し前に建てた自分の事務所も外材だった。プレカットはまだ出始めで少なく手刻みだった。それから間もなくプレカットが普及し始め増えていく。最初の山出しで懲りた私は2,3年国産材を敬遠していた。100_0212

15年前に古い家の隣に若夫婦の家を建てることになりすぐ近くの山の木を使うことになった。建主の祖父が手入れした山で7,80年くらいの杉があった。孫の新築に使うのであればと快諾を得て伐採した。素材の良さと価格も折り合いがつき利益も出て山から出して建てることに自信が出てきた。伐採職人と搬出、製材と連携も良くトラックも借りて自分のところで乾燥した。

それから毎年のように伐る話が舞い込んで在庫を溜めていった。建てることと無縁の現場もあったが材木の在庫を増やすことに夢中になった。乾燥材をいつでも用意できるようにと倉庫も借りて在庫した。杉だけでなく赤松や欅などの大黒柱や曲がりの材料まで揃えた。

曲がりや大黒はいつでも手に入る訳ではなかった。山全体を別業者が買って一部の欅だけを買うことも多かった。職人や森林組合などから情報を得て買い付ける。森林組合は大掛かりな伐採も多い。中には2,3本欅とか雑木が混じるとチップに売るより高く買う私に電話がきた。在庫は山出しではなく単品買いも多かった。000_0271

道路工事にかかり伐ったり住宅の周りの伐採もあった。道路工事は森林組合が受けることが多く規模も大きかった。山の中に道路が通ると銘木と言えるようなものが多く出た。住宅も周りは日当たりが良く年輪が粗くなるのが多くてよほど安いとか太くない限り買わなかった。

唐松だけで家を建てたことがあった。最初に杉の山の予定が相続で揉めて代わりの唐松を伐った。唐松は梁とか構造材として見えない部分に使われる。狂いやすくヤニも強いのでよほどの良材でないと使えない。唐松は成長が早く樹齢が50年を超えると中心から腐り始める。伐った木は50年くらいで何本か腐れがあった。

建主の意向で自分の木を使うことになった。6寸角で構造を組み仕上げもフローリングとか羽目板も作った。建具やキッチンなど家具材まで全て唐松という徹底ぶりだった。これなどは木を見てから設計を進めた例だった。狂ったりするリスクよりも唐松を使うことに意義を求めた訳だ。000_0254

経済的なメリットだけでなくこう言うこだわり方ができるのがわかった。材料をふんだんに使えてしかも金額のことは気にしなくても良い。自由にしかも完全にオリジナルの二度と作れない家が完成した。

昔の田舎の家は大工がこうやって建てていただろうと思う。伐採から製材乾燥して建てる昔の大工の調整能力と設計能力がいかに優れていたかと言うことだ。自分の木で建てるやり方を知らなければ昔の大工の凄さを半分もわからなかったと思う。

自分の木で建てる一番の意義は先祖との繋がりや思い入れだろう。次は完全にオリジナルで他では絶対作れないものができることだろう。この二つで自分の木で建てる意義は十分にあると思っている。


職人の世界—–自分の木で建てる2

ご先祖が植えた木で家を建てるのは意義のあることだ。ただし言うは易しで現実は厳しくハードルは高い。伐り出すだけの価値がない木も多い。50年生が分かれ目だが一番多い。70年生くらいになるとグッと減る。90年生クラスは良い値で取引されるが滅多に出ない。

先祖の山の木で建てたいと言うのがあって山を見に行った。墓地の隣で反対側は住宅地、樹齢は90年以上。木だけを見ればこれ以上ない物件だが倒せない。吊るし切りも考えたが量もあるので合わない。

実は良い物件は何か不利な条件があって残っている。簡単に出せればコストも安いし残っていないわけだ。別な時に谷底にあったとんでもなく太いのを見たことがある。出しにくいから価値があるのか出すのに金がかかるのか。000_0260

伐り出しできなかった銘木であろう木をたくさん見てきた。伐った現場の奥に道路もなくさらに良いものがある。奥の所有者に交渉するが建てる予定もなく出す気もないと。赤松の100年以上の見事な木で写真を見ると今でも欲しくなる。

親戚の山から出してと言うこともあった。先祖の山なのだが相続がらみで直前になって中止もあった。普段は関心がないのに伐るとなって相続で揉めたのだ。いかに山の木に関心がないかだ。

意外と多いのが住宅地の家の周りの木だ。銘木とは言えないが陽当たりが良くて太い。倒すのに吊るし伐りとか金がかかる。住宅地にあるものはただ太くて目が粗く材として見ればあまり価値がない。000_0309

逆に山の所有者が使ってくれるのを心待ちにしていた例もあった。建てたいと思った時に近くに祖父が手入れした80年くらいの杉があった。孫が建てるのに使いたいと言ったら大喜びで提供してくれた。枝打ちも下草刈りも行き届いた素晴らしい山だった。

山から出して建てるのには製材乾燥に保管場所が必要だ。丸太を一時保管する場所とか製材後の桟積みした材木を積む場所だ。森林組合とか土場に預かってくれるところもある。製材後が大事なので桟積みして晒したり倉庫へしまう。当社では設備も場所も用意できる。

これらの一連の管理を任せる業者が必要になる。山から出して製材乾燥するには家を建てる業者が一番最適だ。昔は工務店はどこでもやっていたが今は難しい。当社ではできるだけ地元材を使って建てて欲しいので推進している。000_0342

山の木を買い取る業者は昔からいる。山師とか言われる人たちだ。交渉上手でたたいて買うことが多かった。森林組合などがそれを引き継いでいるが製材や乾燥は請け負わない。製材所も丸太を買ったり製材の賃挽きはしてもらえるが伐採はしない。全部一貫して管理できるところは少ない。

以前であれば伐採、製材、乾燥と一連の仕事をやるのは大工が多かった。棟梁が建て主から依頼され木こりと製材所を連れてくる。資金繰りもあって伐ったらすぐ製材し現場で乾燥した。住宅の暖房が普及した現在では乾燥が不十分で使えない。

私が子供の頃は移動製材所が建てる場所の近くに出張してきた。ポンポンと音をたてた動力機と大きな回転する鋸がセットだ。近くの山から出してすぐ製材した。角は桟積み、板は立てかけて乾燥させる。
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一番のネックは資金繰りで建てる前に払う必要がある。伐採工賃と運賃は丸太を多く出して売るのが普通だ。製材工賃と乾燥代は多く製材し建てる業者に売る方法もある。どちらにしても予定量よりも多く出すのと良い丸太を出すことだ。

買い取った材木を次の現場で使うことになるので手刻みをする業者以外にはできない。山主から見ると自分の家以外に使われる丸太が多く出ることになる。ある程度の面積と樹齢5,60年以上が前提になる。


職人の世界—–自分の木で建てる1

国産材の現状についてどれだけの方がわかっているだろうか。郊外を車で走るとあちこちに潰れた製材所が見える。廃業したかたまにしか営業していない。

青森県内の丸太の生産は60万立米そのうち大手の集成材工場が12万立米を買い取る。かっては120万立法も出したが県外に出荷する量も多かった。県内消費量が減ったので製材所も成り立たなくなる訳だ。

山林所有者でも林業で生計を立てているのはほんのわずかだ。大部分は相続などで分割された山林所有者だ。自分の山に入る道路もなく手入れもしない放置林が増えている。DSC_2878

当社は自分のところの山の木で家を建てると言うのを推進している。自分の所有でなくても曽祖父伝来の山を持っている例は多い。家を建てようと思う時に思い出す。そして初めて現地の山を見ることになる。

自分の山の木で家を建てるには山を見て調査が必要だ。搬出するルートがあるか、適した樹齢かを調べる。まず出すための道路がないと難しい。杉など針葉樹であれば樹齢50年以上は必要だ。伐採や搬出には経費がかかるので先払の費用が発生する。

搬出と樹齢が解決できても費用の問題がネックになる。自分の使いたい量より多く出して一部を販売する方法が現実的だ。売却した分で伐採、運賃を支払う。持ち出しがなく先祖の木を使えるのとある程度選んで使える。
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過去にこの方法で家を建てた方は何人かいる。金額的に利益を出すというよりも太さや使用量に制限なしで建てられる。これが一番のメリットになる。太い柱や板張りの内装とか自由に製材してオリジナルの材料を作れる。

注意しなければならないのは原木市場が安く丸太販売は厳しいと言うことだ。10年以上前であれば杉で石4000円位したものが3000円以下になってしまった。素人が考える金額よりも大分安くなっている。

樹齢が若い等級が低い丸太が多く出ると工賃や運賃と相殺になってしまう。樹齢は7,80年クラスでないと赤字になる可能性がある。その場合でも一番玉と呼ばれる下の太い部分だけが上物になる。半分以上は二番玉以上になるから安い丸太が多くなる。CIMG3621

まして若い木が増えると等級も低くなり持ち出しになってしまう。建て主の中には山の存在は知っていても樹齢とか種類など把握している方は少ない。木の種類、年数、面積、道路の有無これくらいは把握する必要がある。

次に自分の家に使うためには製材、乾燥が必要になる。丸太の状態で放置しても乾燥しない。製材して桟積みをして乾燥する。当社では1年近く乾燥した材木のみを使っているので相当期間が必要だ。CIMG3535

伐採時期もあるので冬に伐りすぐ製材乾燥して夏以降に建てるのが一番最短になる。出す量も使用量より多く出し一部は丸太販売をする。製材後の余った材木は当社で買取をする。伐採工賃、搬出運賃、製材工賃を丸太販売でカバーできれば持ち出しはなくなる。

自分の山の木で家を建てることは二重に意味のあることだ。ご先祖が植えて手入れをした思い入れのある木を使える。地球環境のためにも放置でなく手入れをすることは重要なことだ。単に経済的なメリットだけだと難しい。原木市場の低迷とは逆に伐採や製材の工賃は高い。その中で自分の山の木を使うことは次の世代に受け継ぐ上で重要なことだ。


職人の世界—–大工その4

世の移り変わりは激しい。20代から40年見てきて職人の世界も変わった。一番は数が減ったとこだろう。手作りとか手刻みが減って建材による工業化が進んだ。

伝統的な家作りは減ってなくなるのは間違いない。技の継承も廃れる運命にある。マスコミ的には珍しいのを見るように取り上げられることもある。

都市部では匠の技を残すためには高価格の現場を狙う戦略が増えてきた。数奇屋や超高級店舗などを手がける。宮大工の世界もプレカット化は進むから残る分野は少ない。
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現場では腕のある大工も電動しか使えない大工も一緒に働く。特に手間賃の差はない。技術の価値が低いと言うことだ。30年も前から気付いて鑿鉋を捨てた大工がいた。

スピード第一でプレカットも建材もいち早く取り入れるやり方に切り替えた。老舗工務店の跡取りだが腕の達者なベテランを首にして素人を採用する。
肝心の彼からして大工修行なしでサラリーマンから後を継いだ。自分ができないものは社員にも要求しない。000_0257

私が独立する前だったが一緒の現場をやったことがあった。現場監督の経験のない私でも出来の悪さは一目瞭然だった。
打つべきところに釘を打たない、ホゾが短く効いていない、ボルトの締め付けを忘れる…..。

当時親会社は地域で一番の建材会社だった。建材とともに大工も紹介されていたので変えることはできなかった。案の定施主との間でトラブルになり親会社まで巻き込んで騒動になった。

大学卒で元営業の工務店の社長は施主との間の話をうまくつけた。利益を削る結果になって早く工事したことは何の意味もなくなった。000_0272

プレカットの現場を見ていると彼のやり方が正しくてこだわる私がおかしく思える。スピード第一で端折る隠すは普通になった。見える部分しか評価されない家作りだ。

後で狂わないように差したり嵌め込んだり栓を打つとかは見えない仕事だ。完成後では見えない部分にこそ凝るのが大工というモノだ。

目新しさや目立つ部分しか評価されない現状は30年も前に彼が気付いたことだった。しかし時代の流れは彼の予想よりも早かった。000_0253

アフターやクレームに振り回されるようになる。そして若い大工が次々と独立して彼の仕事を奪う。技術レベルの低さは習得の早さも意味する。
親の残した立派な作業場はアパートに建て替えた。食品や化粧品の販売に主力を移して事実上の廃業になった。

時代の流れについて行くのは大変なことだと思う。客や取引先だけでなく不動産から機械まで引き継いでも生かせない。ましてや前向きに信念を貫き通すのはもっと難しい。彼から学ぶことはなかったが今になってわかったこともある。


職人の世界—–大工その3

事務所を建てて21年になる。独立して6年目で土地を買い建てた。最初の借金の始まりで今に至っても増え続ける。思えば無理に借金をするのはこの時からだ。

当時借りていたところが今の事務所のすぐ下にあった。事情があって出ることになりいきなり事務所を建てようと思いつく。すぐ上のトンネル工事現場の脇に三角の小さい敷地を見つけた。

地主に交渉したら工事用に半分以上貸していると言う。トンネルの両側に工事道路ががあって皆で敷地を貸していた。三角なので貸している面積の方が多かった。残った部分だけ見て小さいし買えると思っていた私は諦めかけた。

すると借地料が入るから買えと地主が言う。向こうにも事情があって話がまとまって借地料込みで買った。以来トンネル完成まで借地料でローンを払うのが10年続いた。DSCF0008

当時母方の伯父が農地に貸家を建てることになり請け負った。総金額が大きく規模もあってそれまでの大工だけだと足りなかった。紹介を受けて近くに住む大工が人数を集めて貸家工事に入ることになった。

その工事が終わる間際に事務所建設が始まった。貸家工事と同時に宅地分譲をして建てる計画だった。つまりすぐ続けて工事があって資金繰りも余裕があった。だから頭金なしで土地と建物のローンを組んで着工できた。

その貸家工事と事務所を続けて建てた大工がHだ。私より2歳若く大手の住宅会社の下請けをしていた。合理的な考え方をして普通の大工と少し違うところがあった。付き合ったことがないタイプだった。

それまでは現場も少ないのでその都度大工を見つけていた。何棟も続けて付き合うのは彼が最初だった。大手の現場をこなすことで新しい建材とか工法をよく知っていた。それまでの大工は古いやり方から抜けられないところがあった。File-043

見たこともない金物とか工具を見せられて驚いた。彼自身も新しいもの好きで合理的なところは先輩大工と合わなかった。当時は新しい大工と思ったが手抜き工事と紙一重の危険な仕事でもあった。スピードアップするためには大手は手段を選ばないのがよくわかった。

スピードアップはコストダウンに繋がり4,5年彼と組んで建て続けた。2,3年くらいしてから現場のクレームが増え大工のレベルに問題があった。貸家のようなものでは良いが一戸建てでは通用しない。

仕上げの丁寧さとかは大工の腕による。キッチリと仕上たものは後で狂わない。スピード第一の大工は端折ったり手抜きをする。床が波打ち壁が歪む….素人にもわかる程ひどかった。安いし早いので続けたが現場管理の甘さとしか言いようがない。

そのことが反面教師になって丁寧でがっちりした仕事を目指すようになった。アフターを通して勉強したなどと今では赤面モノだ。その後はオトーサンとかTのような大工に仕事は流れるようになる。File-051

彼は今でも大手の仕事を中心に頑張っている。逆にオトーサンとかTのような大工の方が仕事が減って苦労している。悪貨は良貨を駆遂する例かも知れない。時代の流れに乗っているとも言えるが。

大手の現場のやり方を彼から学んで対抗する難しさがわかった。徹底的に大手のやらない分野に集中しないと生き残れないと思った。専用金物や建材でスピードアップを図り大工にもやり方を迫る。早く言えば手抜き工事に近い。

食っていく為に何でも有りは仕事としては面白くない。やはり施主に喜んで貰って感謝されるような家つくりが王道だ。目新しさに目が眩んで一時は喜ばれても家は長く使うものだ。いつかは信用されなくなる仕事はできない。

彼との付き合いはそれを教えてもらったのが一番大きい。おかげで国産材を使った真壁の家つくりができるようになった。