青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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花火大会

お盆休みでしばらくお休みした。日記も久しぶりになる。
休み中は何をするでなく孫と遊んだり墓参りに行ったり。休みとは言っても事務所へ行くのが多かったが今回はずっと自宅。
お盆中は気温も低く連日高校野球をテレビ観戦。仕事が忙しい時は見たことも無かったが見るとそれなりに面白い。
地方別の予選も選手が必ずしも出身とは限らないから意味がない。それでも事前知識があればそれなりに別な面白さがある。

毎年お盆明けに花火大会がある。見たことも無かったが事務所の上で観れるのは知っていた。
公園は一番高いところへあがるとちょうど花火が見える。ご近所の方から聞いていたが見たことがなかった。
久しぶりに家内と見物に行き事務所へ車を置いて歩く。駐車場へ行くと何と車が2,3台止まっている。
公園の駐車場が5,6台しか入れないのでこちらに止めるのだろう。そう言えば何年か前に駐車場にゴミが散乱していたことがあった。

ちょうど花火大会の翌日で勝手に止めて捨てて行ったらしい。だからここに車を置いて花火を見に行くのは知っていた。
別に止めるは構わないがゴミは困る。昨日も止めてあったがゴミはなかった。
公園の階段を上がって上の広場には100人はいる。こんなに公園に人が集まったのは見たことがない。
なるほど混雑もなく椅子を持ち込んでビール片手に花火観戦は悪くない。近くにこんなのがあったのを知らなかった。


設計の世界—–木の家

仕事でお会いした方は何人になるのだろうか。見学会や直接事務所へお越しいただいた方など数えきれない。見学会などは一度に何十人にもなるし全部にしたら何百人になるのだろう。どちらかと言えば人に会うのが苦手なのにすごい数だなと思う。

木の家つくりを始めた頃とその前では客層が少し違っている。前は友達とか親戚、同級生など旧知が多かった。その後は文字通り木の家つくりがメインで見学会や広告での方が多い。多少オーバーラップはするが明らかに別なのだ。これからも木の家つくりしかないので、まだお会いしたことがない方が増えるだろう。

思うのは木の家と言っても受け取り方はかなり違う。私などは本格的な真壁の漆喰で田舎風とかとにかく木がメインの家と思い込んでいる。最近は仕上げのイメージが強く構造材とか真壁のイメージはあまりない。プレカットにプラスターボードの大壁で仕上げが板張りなら木の家なのだ。CIMG3956

何度も書くように家は構造材ありきで仕上げは従と思うのだが、仕上げが全てでそれがデザインと思う方もいる。最初は自然素材とか木の家とかイメージしていると途中から集成材のカウンターとか少しずつイメージが違ってくる。

違和感を感じるのは私だけでなく、二度三度会うごとにイメージが離れていく。今までで一番多いパターンである。私的には本格的な木の家つくりを希望していると勝手に思うから中途半端な終わり方になる。

設計も請負も商売なのだから契約できないと話にならない。業者と打ち合わせるといつもこの事に注文を付けられる。簡単に言うと施主に合わせてなりなりに妥協しろと言うことだ。妥協でなければすり合わせて契約に至るようにと言うことだ。CIMG3967

あまり生真面目すぎるとか杓子定規すぎると言われることがある。自分の思い込みが強く施主の意向を察していないのではとも思うこともある。その反面自分の信念に反しておかしいと思うことができるのか。信念を貫いた結果、選ぶのは施主であるとするか。

サラリーマン時代には営業会議では目標達成に向けて自分の意見を述べる。いつも出来そうもないことを言うのもいて自分には言えないと思った。自営になり売り上げは大事だからそうもいかないのもわかる。

子供達が小学校に入ったころ家族でスイスに遊びに行ったことがある。妹夫婦が転勤でスイスにいたからだがいわゆる観光コースではなく自分たちで歩き回った。道に迷ったり英語が通じなくて鉄道に乗れなかったり色々な経験をした。普通のアパートに住んでいたので住宅事情もわかる。DSC_4811

スイスの住宅は借り物が多く土地は借りて建物だけ建てる。貴族とか大地主がいて全域を所有しているからだ。規制が厳しく屋根とか外壁は色や仕様が決められている。防火も厳しく木造に見えてもコンクリートの上に板を貼っている。テレビなどで見るあの調和の取れた風景は規制によって作られる。

もちろん古い建物も残っているので勝手に改装とか壊すことができない。環境規制も厳しいのでマキストーブとかガス器具もご法度だ。電気の床暖房や温水器になっている。コンクリートないしは石作りなので内部は板を貼ったり漆喰になっている。

デザインはインテリアデザインが多くて家具やカーテン類が主だ。日本のように外観から屋根の色まですべて自由となると選ぶ方も大変だ。スイスは外壁の素材も決められるので似たような感じにしかできない。建材のような仕上げ方は内部しかできない。

中国とか東アジアが世界の注目を浴びるとその文化も世界へ普及する。日本の食文化とかアニメなどオタク文化は世界で通用する。家の建て方も通用するかもしれない。少なくとも建築家は世界で活躍する方が増えた。アメリカでは日本家屋が富裕層に受けている。DSC_4806

ヨーロッパなどの規制一辺倒の統一とは逆に個性的で自由な統一感のない日本式がアジアでは受けている。便器とかユニットバス、サッシ類などの機器から始まって外壁材とかビニールクロスなどが普及するかもしれない。安く簡単にイメージを変えることができるからだ。

これからの家の建て方も世界の動きと連動していくかもしれない。建材などの産業は日本だけを相手にできなくなって機器から海外を目指す。規制などの基準も世界に合わせていくようになる。それに連れてデザインも大きく変わっていく。

建築技術や設備関係は世界的な評価は高い。住宅も世界に通用するものがこれから開発されるだろう。製造規格が世界向けになり日本の規格も変わることだろう。デザインの考え方も変わるからいつまでも過去に囚われないないようにしないといけない。施主もドンドン変わっていくので経験だけにしがみ付くと遅れていく。


設計の世界—–自分の木で建てる2

山から出すには使う量より多めに出さないとならない。丸太の価格が高い時は少なくて済むが今は最低に近い。採算ベースだけで考えたら大きなメリットはない。仮に伐らないで放置しても手入れも必要だしいずれ売る時が来る。その時の相場がどうなるかわからないが上がる予想は少ない。

毎日住む家がご先祖が植えたものだと思えばこれほど嬉しいことはない。何事もつながりが浅くなる現代で自分の子供を先祖の木の家で育てるのは意義があることだ。伐った山にはまた苗木から育てると孫世代に使えるようになる。

放置すればただの山林でも使うことで先祖とのつながりを持ち、木の家に住めば健康住宅になる。買うと予算的に厳しいことも内外に板張りが可能になるとか柱も4すんでも5寸でもまた天井も高くできる。できる限り製材して構造はもちろん仕上げにもフルに使えば個性的な家が出来上がる。DSC_4082

プレカットの家の木材使用量は極限まで減らして集成材を使う。集成材は初期強度は優れているが長期には貼り合わせの糊が寿命になる。初期強度が強いので柱も3.5寸が多く細くなる。仕口も浅くホゾも短いので金物で締め付けて保たせる。

自然素材と違い張り合わせの糊からシックハウスの原因となる物質が微量ではあるが出る。家全体であるから微量でも影響がある。さらに大壁と言って柱や梁を隠すのが一般的だから長期に渡り少しずつ発散する。仕上げに使うビニールクロスも糊と素材自体からも出る。

建材は基本的に化学製品であるから使用物質の制限がある。禁止されても替わる物質をすぐ開発するから無害になる訳ではない。メーカーはコスト最優先で利益を上げることが最終目的だから安全第一とは限らない。CIMG1707

自然素材住宅であっても建材を使わない家はコストがかかってしまう。バランスの問題で基本的には柱現しで漆喰などの吸湿や吸臭の機能を持った仕上げにしたい。板張りも柱を取った残りから板を製材し使える。できるだけ持っている資源を最大限に活用した作りにすれば健康にもコスト的にも有効になる。

柱、梁は現しにするためには目の良い節の少ない方が向いている。捻れや狂わないように良い丸太から取るのが基本である。良い丸太は価格も高く選んで買うと高くつく。自分の丸太であれば何本か良いのを選べば良い。挽く時も効率一本槍でなく良い目を出すような挽き方をする。こうすることで目の綺麗な無節の良い材料を現しにできる。

昔は良い材料を取るために山から出した。山持ちの一番の贅沢で資源の活用法だった。残念なことに製材所は廃業が相次ぎ材木を在庫するところもない。せっかく良い丸太を出しても並みの値段で取引され市場に出回らなくなった。今では自分で出して選ぶよりないのが現状である。DSC_4087

終戦後70年も経って50年以上の丸太が山に大量に蓄積されている。木は年数により間引きで間隔を開けている。放置林は太くなってお互いにぶつかり枝が枯れたり変形する。年数が来たら出すか間伐をしないとならない。山はいつも生きている。

木を出すには昔は山師と呼ばれるブローカーがいた。山主から買って出して売る商売だが丸太が売れなくなってしまった。代わりに森林組合などが伐採運搬をしてもらえるが製材はやらない。さらに手刻みをする大工がいなければ乾燥や保管ができない。これらの業者の手配や交渉を施主自身ができないので近年は滅多に行われなくなった。

当社はできるだけ自分の山の木で家を建ててもらいたいと思っている。伐採は運搬はもちろん製材や保管まですべてできる。経験のない者には難しい職人の手配や現場管理もノウハウがある。山主だけでなく市場で丸太を購入して製材するのでどのような材をとるかもわかる。これらを一貫してできるノウハウがある。DSC_4091


設計の世界—–自分の木で建てる

木造とは言いながら国産無垢材と大工の手刻みの家でなくなった。そのことに特に違和感もなく”そうなんだ”と言う方もいる。車で言えばタイヤが天然ゴムでなく合成品になっても走りに変わりがないのと同じだ。性能有りきで素材やましてや加工法には誰も関心がない。

最近の施主と業界の人間、特に年配者にはかなりの思い違いがあるようだ。山にある木を出して製材乾燥し大工が刻んで建てる当たり前のことが理解されていない。植林された木は樹齢50年を超え出番を待っている。その出番が集成材工場や紙の原料であるチップなのは普通になった。

木の家の要望は根強いものがあるが実態は仕上げ材としての木だ。見た目優先は”デザインが命”と言う言葉のように家電品の一部のような扱いだ。構造材としての無垢材の認識は車のタイヤのごとくで耐震性とか機能の面でしか評価されない。CIMG0832

古来家は近隣の木を伐採し大工が建ててきた。このリサイクルシステムにより里山は活用されて暮らしの一部になった。ところがこの近隣の木のリサイクルが壊れて放置や手入れ不足になった。木の値段が下がり売ろうにも採算が取れない。ましてや自分の家にも使われずじまいではどうしようもない。

杉は植林して10年くらいは下草を刈ったり間引きしたりする。大きくなればさらに間引きをして枝打ちをする。手入れのない山は曲がったり折れた枝で二股になったり価値が大きく下がってしまう。手入れ不足の山は密集し枯れるのも出て子孫を残そうと杉は花粉を大量に撒き散らす。

自分の木を出して建てたい方がいて山に行く。大概は樹齢が50年前後で出すには少し早い。もう20年もすれば銘木にもなろうと言うのが多い。山出しには原則があって樹齢と出すルートが必要だ。道路に面しているなら問題はないが他所の土地を通るには問題がある。CIMG0813

樹齢は生えている場所にもよるが最低50年は欲しい。枝が多く曲がったり割れたりした木が多いと価値が下がる。伐採工賃を出た丸太で払うのが多いから丸太の価値が低いと赤字になる。

場所も急峻な崖とか谷底では引き上げるのに苦労する。ある程度の面積が必要で5本や10本倒しても総金額が低すぎて採算が取れない。100本単位で倒す必要があるので面積にすると1町歩(3000坪)くらいは欲しい。

丸太を倒すと玉切りと言って長さを揃える。木は下が太く上は細い。だいたい20mくらいはあるから4mで4本は取れる。下から一番玉、2番玉、3番玉と数える。製材する価値は直径が30センチあるかどうかで決まる。1番玉と2番玉までが製材品、3番玉は合板用、4番以降はチップになる。CIMG0818

ご存知のように丸太は節の有無で大きく価値が決まる。1番玉は最上でほぼ無節が取れ2番は取れるのと節有りがある。山を見る際は立った状態で目の高さ(目通り)で直径を図り節を見る。見に行ったら目ぼしい木の直径を図りグルっと一周し節を確認する。何本あるかで山全体の金額が計算できる。

丸太は石(こく)という単位で直径✖️直径✖️長さで決める。石数と本数を数え石単価を入れると金額が出る。伐採工賃と運賃を引けば残りが売り上げになる。相場が安くて出す量が少ないと赤字もあるのである程度量を確保する。

自分の木で建てたい方の関心は材木で買った場合と比べてどうかだろう。40坪前後の家で手刻みすると構造材が150万円くらいになる。必要な丸太はおよそ1番玉で70本金額は60万円製材賃50万円運賃10万円伐採工賃40万円となる。70本を倒せばチップや合板に40万円くらいに売れる。伐採工賃40万運賃10万製材賃50万合計100万円。売り上げは1番玉60万チップ合板40万合計100万になってちょうどになる。およそ70本の倍140本倒して自分が使う材が出て差し引き0になる。

140本の山出しだと山によるが面積でおよそ1町歩ぐらいは必要だ。相当な面積になるが自分の家の材木代をひねり出すにはこの位必要だ。そして伐採工賃や運賃、製材賃は刻みの前に支払いなのでそれも用意しなといけない。

メリットは縁のある木を使えるのはもちろん選んで使えるの本来高い材木を買うのと同じになる。手間はかかるが良い木を使ってご先祖に縁のある木で建てることができる。一にも二にも山の状態次第で採算から材の良し悪しまですべて決まる。
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設計の世界—–長く続ける

設計事務所で長く続いているところはたくさんある。住宅専門となると意外に多くはない。官公庁とか大型物件専門のいわゆる大手のところは長く続く。経営者が変わっても会社としての価値が高いと言うことだろう。

当社も27年経つが後継者もいないので設計事務所は閉じることもありうる。工務店としては息子がいるので続くかもしれない。息子は建築士ではないので設計事務所を継ぐ可能性はない。

長くやって思うのは自営業は潰れないのが一番だと言うことだ。あまりに簡単な言い方になるが実感として思うことだ。同じ頃創業した仲間も随分いた。親から継いだものも含め半分いやそれ以上が潰れた。CIMG2193

仕事はいつも平均して来る訳ではない。サラリーマンとの大きな違いがここにある。良い時と悪い時の差をどうやって埋めるのか。答えは簡単だ、必死になって新しい手を考えてクリアする。これしか言いようがない。

勝ち残り組の言い分は優雅なものだ。自分に才能があったとか親が莫大な遺産を残したとか….何を言っても通用する。潰れたものはあちこちに迷惑をかけ家族をどん底に突き落とす。

私だけの経験だが4,5年毎にピンチは来るようだ。支払いに困り生活費にも事欠く。どうやってクリアしたかは余り思い出したくない。とにかく考え付く限りの手や借金で乗り切る。CIMG2161

この期間は企業の発展から見れば一種の停滞期間になっている。人間は危機に陥った時にこそ真剣に次の展開を探る。どこが間違ったかどうやれば再生できるかなどだ。奇妙なことにこの時に発展のポイントになることが起きる。

事務所を建てる、建築士資格を取得する、展示場を建てる。このままではダメだと危機感を持たないと行動しない。思い切った行動ができるのもこう言う時だ。

長く続けるにはそれなりに存在理由がある。支持する客がいてこそ企業は成り立つ。翻って当社の場合はどこが支持されたのかだ。一番は木にこだわったことだろう。時代の流れの真っ只中ではなく平行して違う分野を開拓したことだろう。CIMG2170

国産材を使った本格的な木の家、漆喰仕上げや真壁の少し古い家をイメージした。断熱や各種機能の発達で木の家から離れていく傾向がある。そこに少し疑問を感じ抵抗した。次の展開も見えない中で資格取得や展示場建設は相当な冒険だった。

今でも木の家は一定の支持があるが業界の流れは機能や設備の方向に向かっている。大手の戦略はこれしかないのだが職人の手仕事と言う観点からは相当かけ離れている。逆に言うと地元の職人たちに危機が迫っている。

消費税上げやオリンピックで景気は上がり下がりがあると思う。長期的には都市部の繁栄と地方の衰退から家作りに関わる職人が減っていく。出稼ぎもできない引退間近組が徐々に減るからだ。大手の限りなく工場生産品で作る家が市場を圧倒しそうだ。

その中で当社の生き残る道は手作りの木の家しかないと思う。山から出したり製材品とか困難は予想される。仮に最後の一つになっても可能性を探っていきたい。そのためのノウハウも職人たちとの連携もまだまだ捨てられない。CIMG2176