家の建て方の変転は激しい。昭和49年以降41年業界に身を投じてそれを見てきた。高度成長期の経済発展のおかげで庶民の新築意欲は大いに高まった。私は54年結婚を機に父の敷地の一部に新築した。当時珍しかった設計事務所へ依頼し少しだけ目立つ小さな家だった。
外部はアルミの二重サッシとサイディング張りでアルミ製のドアは冬になると凍って開かなくなった。室内は普及し始めたビニールクロスとベニア製の床材で気休めに近い薄い断熱材が入っていた。何度かのリフォームを経て昨年息子たちによって建て替えられた。
新築当時はメーカーの営業で設計には直接関わらなかったが知り合いの設計事務所へ依頼した。最初の設計が他人だった事とさしたる自分の思いもなく建てたのだがその後の設計に大きく影響を与えた。設計と言うものの力が理解できたことが大きい。
当時は大工、工務店が主力で住宅会社が出始めた頃だ。国産材の不足と未開発国から輸入される南洋材と北欧材が多かった。建て方自体は手刻みで在来工法なので技術的には大工には受け入れられる。
安い外材と省力化された建材の普及で鑿カンナを捨てた大工が続出した。職人である大工から請負業に乗り出して新築現場は金のなる木と化した。建材メーカーもシェア獲得のために大工たちに飲ませ喰わせの泥臭い営業を仕掛けた。韓国やタイに大工たちを連れて行って遊ばせるそんな時代だった。当然現場は値引き競争の場になった。
家の価値が安さにある時代にデザインとか性能を追求するのは少数派だった。質より量の時代に腕の良い職人は自分より下手な元大工に手抜きを強要される始末だった。黙っているより口八丁手八丁の大工や工務店が幅を利かせた。
メーカーもシェアが固まってウリがコストダウンから高性能とかデザイン競争に変わってくる。儲ける事に夢中な大工たちに代わり営業マンがいる住宅会社が伸びてくる。営業コストがかかるので高価格になりがちでカバーするために高気密高断熱が増えた。
平成になって木材が話題に上らなくなり大壁な事もあって安いだけが取り柄の外材が大いに普及する。製材所や材木店が減って国産材の丸太価格が下落した。建材も新たな技術も出尽くしてデザインがウリの差別化になった。
営業で大工たちや設計事務所を廻って建て方の違いに気がついた。大工の建てる変化の乏しいありきたりの家から見れば設計事務所は夢のような家だった。実際に建てて見た目だけでなく住み心地まで体験できた。設計の力に大いに魅力を感じた。
しかしその家も10年も住むと欠陥も目につきデザインにも流行がある事に気がつく。デザイン優先の家つくりは構造や施工法に無理をかける。耐久性重視は設計事務所のウリになりにくい。変わったデザインと賞を取れるような目新しさが優先される。
軒先のない外壁は雨に晒され腐りやすい。設備関係や断熱材は目に見えないこともあってコストを削る。10年も経たないでボイラー交換や雨漏りに悩まされ断熱不足と空間の大きさは真冬に寒くて大変だった。大壁つくりで中の外材の柱は蒸れて腐りかかってカビ臭い。
古臭い大工たちが建てた家のイメージから逃れたい。そのことがデザインの基本になって長保ちする家から保たない家に変わった。長年かかって大工が進化させてきた技術が否定される。軒が深くて柱現しの真壁つくりが減ってプレカットにより集成材に変わった。
昔の大工たちは柱や梁で構造とデザインの両方を融合させて素材で差を付けた。太さや大きさが施主の要望に応えて山から出して使われる。構造自体がデザインの主力になる訳で素材の力は大きかった。長く保つ家つくりは耐震や腐朽に抵抗するように仕口や接合の技術を進化させる。
デザイン優先の家に住んだことは家つくりの基本を学ぶ上で役に立った。古い家のリフォームや自分の設計した家の手直しで学んだことも大きい。設計者の体験で学ぶことは大きいし自信にもなる。そう言った経験のないサラリーマン設計士や設計する機会の少ない者はハンデがあると言える。