青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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多死社会

今日と明日は葬儀で1日潰れる。先ほど2時過ぎに帰宅、その後事務所へ来た。亡くなった叔母も出席者も高齢が多く飲み食いはない。ただ飲食はないが持ち帰り料理は出る。弁当のように自宅で食えと言うことだ。これもコロナで変わった事だろう。
 
地方新聞は取っているがお悔やみのためだ。お知らせが来るところはまだしも仕事関係は新聞で知るのが多い。会葬時間と場所を指定するのがほとんどだ。昔のように葬儀に出席するのはないからお金だけ置いてすぐ帰る。 
 
超高齢は現役と違い知り合いも死ぬし出席者が少ない。亡くなった報告だけの新聞掲載も増えた。一般的な葬儀のやり方だと亡くなった親の代理ばかりで白々しくなる。私の場合も早く亡くなったので代理出席が多い。 
 
コロナは葬儀のあり方まで一変させた。会場での飲食はほぼ無くなり持ち帰りになる。弁当のために会費を集めるのかと疑問もでる。将来的には増えた葬儀業者の淘汰に繋がりそうだ。多死社会は葬儀屋にとっては需要増でバラ色だった。 
 
大会場で人集めをして盛大な葬儀は時代遅れのようだ。献花も実物ではなく名前を書いた板を展示する。家族葬のように人集めをしない傾向も増えている。5年ほど前から大会場が減り小ホールの家族向け増えた。 
 
出席者同士は従兄弟ばかりだから親の残した家の処分が話題になる。別居で都会に出た者は親の家の処分が待ち受ける。仕事柄相談を受けることもあり仕事範囲が広がった。これも時代の流れなのかもしれない。


生成AI

強風が吹き荒れる中、庭木の伐採を頼まれ作業する。相棒を頼んで二人で片付けたが二日もかかった。直径30センチを超えるものから5センチ程度の庭木まで各種ある。長年手入れをした愛着のある木を整理する。高齢者によくあるパターンだ。 
 
チェンソー持参で次々と倒していくのだが剪定で歪な木が多い。曲がりくねっていたり節が多く切るのも大変だ。薪になればと引き受けたが割るのも困難が予想される。支えるために金属の棒が多くチェンソーも破損する。 
 
トラックで5回ほど運んだが薪としては4㎥ぐらいはあるだろうか。節や割り難いのが多く薪としては良材とは言えない。樹種も多様で広葉樹の薪用が少ない。実のなるものは柔らかくスカスカの木が多い。山で素直に育ったナラ材とは大違いだ。  
 
生成AIが普及し建築設計も変わりそうだ。建築家のアイディアを画像生成で作ってくれる。自分で考えるのとパターンを選ぶのではかなり違ってくる。誰でも自分の先入観や知識から逃れられない。予想しないパターンを見れるのは大きい。 
 
建築家だけでなく住宅会社などの設計ではもっと役に立ちそうだ。施主にパターンを何種も提供できる。具体的な画像も簡単に見れるだろう。企画化された住宅では図面を描く人間が要らなくなる。言葉でイメージを言うと予め決められた範囲でパターンを作る。 
 
建築士も人手不足なので生成AIは普及も進みそうだ。建築士であればCADを使うから違和感は少ない。すぐ覚えられるし使いこなすだろう。一々自分で図面を書かなくてもイメージ画像は出てくる。お施主様には理解が早いので結論も早く出せる。 
 
生成AIがCADの次の使い方に置き換わる。時間の節約にもなる。プレカットとか建材による家造りは大いに向いている。当社のような古民家とか古いものに向いているか分からない。何でも進化が進むほど古いレトロなものを好む方もいる。


コロナの衝撃

連休も過ぎ今日あたりから気温も上がる。昨日までは朝晩にストーブに火を入れた。公園の木も花が散り葉が生い茂り鬱蒼としてくる。窓から見るとまるで自宅の庭のような迫り方だ。できて15年の公園もやっと木が主役になってきた。 
 
株価も最近は低調だがアメリカに引っ張られ上がる予想が多い。円安も大企業の決算には追い風のようだ。そのまま株価に反映するから上がることだろう。ついでに所得の方も上げてくれると万々歳だ。 
 
いつも通り地方にも反映されるのはいつのことか。コロナから復活したはずなのに昨年は低調だった。今年は何とかなって欲しいのだがそう簡単ではない。食えなくて一家揃って関東に引っ越したのが近所にいる。 
 
コロナの残した衝撃はかなりで景気はさっぱりだ。住宅業界はいつの間にか大手の進出が増えた。地元の業者は厳しいところが多い。下請けの業者は地元業者から乗り換えるだけだから変わらない。単価が下がるとか影響はあるだろうが。 
 
人手不足はどの業界も同じで職人も同じだ。手間賃はコロナ前から変わっていない。インボイスで消費税分上がっただけだ。業種により人手不足は違いがある。修業に時間がかかるのと外でのキツい仕事が嫌われる。同じ金額なら楽な方が良いってことだ。 
 
当社のような建て方では職人もレベルが違う。大工は息子なのだが宮大工の修行をしてきた。手刻みのできる大工は激減で数えるほどしかいない。建具、左官はもちろん電気、水道ですらやり方が違うので苦労する。 
 
そこに職人のなり手不足で建てるのも相当困難を極める。材木も製材所の激減で手に入らない。自分で丸太を買って製材して在庫するしかない。大手の住宅会社には到底できることではない。減っていくのは当然なのだろう。


唯一の趣味

連休の最中、である。事務所へも行かず家でひたすらTVを見て過ごす。MLBと映画が主だからTVの都合しだいで起きる時間が決まる。連休には孫などが遊びに来るところが多いだろう。私はすぐ近くにいるので毎日のように会える。 
 
することも無いし出かける用も無い。歩いたりとにかく動き回るのが億劫になった。運転すら家内が一緒なら助手席に座る。車やスキーに凝ったりした時期があったのがウソのようだ。でも辞めると決めたらスッパリやめてきた。 
 
そうやってやめることが増えて無趣味、無感動になった。すると時間が余ってひまになる。自宅周辺に木を植えたり育てたりする。木の処分を頼まれたりするので薪を作る。庭木や日当たりにあったのが多いので節や曲がりが多く苦労する。 
 
その中で唯一興味がなくならないのが住宅設計である。TVを見ても出掛けても建物に視線が行く。もちろん好き嫌いはあるので興味が湧かないのも多い。地方なので高級なものや個性的なものは少ない。まあ平凡な建売住宅に近いものばかりだ。 
 
ファッションや車は庶民でも限度はあるが凝ることができる。住宅は金額もはるし経験や知識が膨大で難しい。中途半端な知識はかえって粗末な結果を招く。統一感のある個性的な住宅は滅多に見ない。施主の要求なのか設計事務所が下手なのか。 
 
ネット社会は都会と地方の垣根を取っ払った。情報の氾濫で地方住まいでもビジュアル的には不足ない。プロの目で見れば造り方はわかる。施主のイメージ通りかどうかはわからない。指示された要求がイメージを壊すものになることもある。 
 
住んで快適か否か、断熱とか十分か、周囲と合うかどうか….プロはわかっているが施主はどうか。説明してわかってくれるか…勉強している時間もないし。完璧なものはなかなかできないものだから終わりがない。


終の住処

連休の中休み、孫は学校へタクシーが迎えに来る。自宅の真ん前に鉄筋コンクリートの廃校がある。子供達はもちろん私や父、祖父の通ったところでもある。過疎化で児童が減り近くの学校までタクシーが迎えに来る。 
 
6年生なのでもうすぐタクシーも来なくなる。中学生になると親の送迎になる。月日の流れがこう言うところで感じる。1月に娘のところに孫が産まれお食い初めに神社に行った。大人になる頃は私は90歳を超えている。 
 
住宅会社のように大量の現場もなくつぶれもせず今日に至る。一つにはあまりないの建て方でライバルが少ないのが要因だ。自前の事務所なので毎日仕事が無くても通っている。以前と変わらぬようにパソコンを立ち上げネットに接続する。 
 
大した仕事もない日はネットでニュースなどを見る。昼食は車で10分の自宅に帰る。午後はまた2時ごろ事務所へ戻る。これを毎日繰り返す。以前のお施主様から修理やアフターの電話依頼が来る。 
 
年に何人かリフォームや新築の相談が舞い込む。当社に来る方は古民家や国産材の家にこだわる方が殆どだ。増えたのが高齢者のリフォームで終の住処というやつだ。夫婦が元気なうちにどちらかが亡くなった時に備える。 
 
財産があれば税金で持っていかれるよりはと言うのもある。平屋で小さな家になるのだが来客や外向けのことは気にしない。文字通り終の住処であるから自分たちさえ良ければ良い。誰でもそうしたいのだができないのが普通だ。 
 
財産どころか年金が足りるか悩むのとは大違いだ。意外と慎ましやかに古い家に長く住んでいる。事務所へ来る際に乗って来る車も古く小さいのが多い。子供に財産を残すとケンカになったりするらしい。羨ましいことではある。