青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

090-1060-9764

設計の世界—–仕事への情熱

38歳で会社を辞めて設計事務所として開業をした。周りには遅すぎるとか向いていないとか散々言われたが何かに突き動かされたように開業をした。小学生となっていた子供たちのことを考えると躊躇もなかった訳ではない。

その時家内の一言で結論を出した。家内は公務員なので収入が減っても何とかなると。今思えば大変甘い気楽なスタートだった。とあれ私は自分の何か人と違うことをやってみたいと自営の道に入った。

ひたすら仕事をこなし支払いに苦労し家族にも苦労はかけた。何度かピンチがきても何とかクリアし親や親戚にも迷惑をかけた。苦労の連続は辞めるまで永遠に続くなんて夢にも思わなかった。

最初の10年は無我夢中の時期で進むべき道も何も考えなかった。少し慣れて余裕が生まれ、人と違うことをしたいと言う本来の目的を思い出した。大して深く考えた訳でなくこのままで良いのだろうか位の気持ちだった。CIMG1113

自分の考えたストーリーではなかったが国産材への道へ入った。プレカットと建材の家はどこか自分に合わないと思ったのだ。手刻みとか真壁つくりは当時はそれほど珍しくもなく大工たちも普通の仕事だった。材木も職人も苦労もなく集めることができた。

森林組合にいた親戚が強く国産材の家つくりを勧めた。何も知らない私に丸太から材木を製材して家を建てる方法を教えてくれた。国産材の危機感が森林組合を突き動かし近くにいた私をそそのかした。

とにかく人と違うやり方で仕事をしたいと言う自分の意思と一致して国産材化がスタートした。周りのおだてにも乗って丸太を買い製材して建てていく。トラックや作業場や展示場まで作った。膨大な資金のいることばかりだった。CIMG1182

サラリーマンは家を建てること以外に借り入れをすることはあまりない。自分がどのくらいの借り入れが可能なのか知らない方がほとんどだろう。年収の5,6倍とかそんなものだ。審査があって返せる安定した収入がないと借りられない。

事業資金の借り入れは将来の収入も加算されるので年収の何倍もできる。資金の使い道が何であるかが問題でそのリターンに貸してもらうことになる。連帯保証人を立て周りに迷惑をかけながら膨大な借り入れをしてきた。

金融機関は政府の不景気対策によって審査が緩かったり甘い時期がある。雨降りに傘を貸さないで晴れると傘を貸すという金融機関に振り回されながら借り続けた。誘いがあれば見合う事業を考えて甘い審査で借り入れる。CIMG1139

サラリーマンであれば考えたこともない金額を借りて返し続ける。家を何軒も建てることができる金額だった。親からの事業継続だったらありえないが自分だけの判断でできる自営なので簡単だった。返せる時はともかく売上が厳しい時は大変だった。思い出したくないが破産する瀬戸際が何度かあった。

その度に忽然と仕事が出てきて何とかなった。ついているだけなのに自分の戦略が正しいとか都合の良いように考えた。懲りもせずまた借り入れをして次の戦略を考える。資金に苦労しない時期と苦労した時期は圧倒的に苦労する方が多い。

現在でも借り入れはあるが新しい事業は年齢もあって無理だ。少しずつ返して事業を継続していかないとならない。同年代は定年で気楽に旅行をしたりするが私にはまだまだ無理だ。それどころか引退は考えていない。CIMG1148

こんなに苦労するのになぜ止めようとしないのか。財産を残したいとか社会的に認められたいとかあまり思わない。コンテストとか派手な世間受けの良いデザインとか思ったこともない。自然素材を使った健康住宅を欲しい方がいてその選択肢としてやっていければ良いと思っている。

単なる設計事務所を超えて山出しからこだわって他所でできないことをやる。山を見にったりトラックを運転して運んだりできることは自分でやっている。コストを下げるとか材料の選定をしたいと思うからだ。

他所の設計事務所では有り得ない仕事ぶりだが、変えようとか止めようとは思ったことがない。理由はそう言う仕事が好きだとしか言えない。単なる図面描きでなく材料から自分でこだわって家を建てたい。施主のために他所では絶対できない家つくりをしていきたい。借り入れで苦労しながら、そう言う仕事が好きだとしか言いようがない。


設計の世界—–点と点

世間には建築家と呼ばれる人が沢山いる。地方の片田舎には希としても都会にはいや世界には沢山いる。素人には思いもつかない建物を次々と繰り出す。そしてそれはまるで魔法のようでもある。

まだ高校生の頃に進学先を文系か理系かに分けられた。確たる信念もない私は数学が不得意なので教師の一言で文系に進んだ。興味もないのに成績のランクで大学を決めても大した疑問もなかった。

学園紛争が激しい入学当時、学校はストで封鎖されて授業もなく寝てばかりいた。暇つぶしにバイトをして小遣いを稼ぐ。バイト先でまだ返還されてなかった沖縄からきた若者と出会った。彼は画家志望で夜は絵画学校へ通っていた。DSC_0588

いつしか友達になり絵画学校へ一緒に通うよう誘われる。前から絵は得意で好きだったが画家と言う職業はイメージできなかった。それでも昼はバイトで夜は一諸に学校へ通った。授業の面白くなかった大学よりよほど熱心に通って友達もできた。

結局大学卒業まで絵の学校は通うことになる。就職もバイト先の出版社にそのまま彼と一緒に入社する。いろいろあって職を変え帰郷して建材メーカーの営業になった。仕事で設計事務所へ営業に行ってその仕事ぶりにかなりの興味を持った。

何度か廻り道をして営業から設計に進んだ。その時は学校を出てから15年も経っていた。必死で仕事をこなし設計者らしくなるのにさらに10年もかかる。その時になって建築デザインも絵画も同じ思考をすることに気がついた。100_2912

結局オリジナルのものは建築でも絵画でも同じだ。モノマネでなく真にオリジナルな創造は他人と似ていないことが基本だ。住宅のデザインはほとんどが誰かのモノマネだ。メーカーや雑誌などのイメージに左右される。

絵画と大きく違うのは施主の意向と金を使って自分のモノでないものを作る。その所為か自分の意思を最後まで押し通すことが難しい。また施主の好みに振り回されて完璧を求めるのも難しい。まるで障害物レースのようなものだ。

設計者が自己完結のために施主の意向を無理に曲げることも多い。作品主義的建築家に多いパターンだ。私は逆に自分の意向をある程度絞って選択肢を狭くすることにした。手刻みの真壁と言うポリシーは崩さないようにした。100_2884

仕事のチャンスを逃す結果にになってもやむを得ない。こちらに興味を示さない方が多かろうと思ったが施主の意向を無視したりすることもない。自分のやり方に意気投合してくれる方があれば理想だと思った。

他と違うやり方で家を建てたり設計をしたい。その考えに至る時に原点が学生時代の絵画学校にあると気がついた。画家の教師の他人と違う何かを追求すると言う教えは今でも生きている。

アップル社のスティーブジョブズ氏は卒業式のスピーチで点と点を結ぶ重要性を述べた。絵画学校で学んだことは当時は職業に何も影響を与えなかった。25年もしてから真の設計者になろうとして点と点が結びついてきた。

若い時に興味をもって何かに夢中になるのは後で実を結ぶ。資格取得や学校の卒業と違って自分の興味だけで学んだものは強い。その影響力は悩んだり大きく変えようとした時に発揮される。熱心に取り組めば取り組むほど影響力は強い。

真にオリジナルなものはモノマネと違って時間が経ってもあせない。長く業界にいると流行り廃りは全てメーカーが主導しているのがわかる。職人や手による仕事は利益の追求を基にしたメーカーより満足度が高い。長く持つ施主のための仕事は利益追求とは明らかに別の視点に立っている。100_2984


職人の世界—–板金屋

職人も数え切れないほど付き合ってきた。その中に今年亡くなった板金屋の母方の叔父がいる。83歳で亡くなったから私より18歳上だ。75歳くらいで脳梗塞になり職人をやめてから長く入院した。もちろん板金の仕事は独立以来お願いしていた。

叔父は中学を出て自分の兄のところへ弟子入りした。両方とも叔父にあたる。叔父は実家にいて小学生だった私はよく遊びに連れていってもらった。母方の一番若い叔父だったので独身で祖父母には初孫だった私を可愛がってくれた。

当時は映画が娯楽の王様で、ゴジラとかまだ若いジュディガーランド主演のオズの魔法使いなどを見に連れて行ってもらった。田舎育ちの私は映画を親以外と行った初めての経験だった。
笹野12:12-10
ゴジラだったかオズの魔法使いだったか怖くて椅子の後ろに隠れて叔父に笑われたのを憶えている。
オズの魔法使いは1939年の製作だから大分古い映画だったようだ。

叔父は器用で竹とんぼや凧を作ってくれた。当時母の実家は街に近く田舎育ちの私は遊びに行くのが好きだった。叔父がおもちゃを作ってくれるのがとても楽しみだった。

まだ若かった筈だが手は大きくてごつかった。その手から色々なおもちゃが出てくるのが子供心にまるでマジックのような気がした。私が職人の手と言うと最初に覚えているのが叔父の手だった。

手で作るから大きくゴツくなるのか初めから大きかったかは覚えていない。とにかく職人は手が大きくゴツイと今でも思っている。職人の手はサラリーマンの名刺みたいなものだ。年季も腕もすべて手に出てくる。笹野9:21-25

手刻みの大工たちの手もゴツくて大きい。玄翁を握る手は節くれてグローブのように平べったい。その手からあのような繊細な加工が生まれるのには少し不思議な気がする。

プレカット全盛の今の大工は玄翁やノミはあまり握らない。電動機械で仕事をするので力を入れて振り回さない。グリップは手には優しくゴツくなるのを防いでくれる。だから今の大工の手はやさしくて綺麗だ。

体に負担のかからない仕事が増えて素人に近いものまで職人として働く。手刻みの衰退と建材のユニット化で職人は作ると言うより組み立てるが近い。大工道具の中で一番消耗が激しいのは組み立てに使われる電ドルだ。

大工に比べ板金屋は昔と変わらず手で折ったり切ったりする。折加工は工場でするのが増えたが現場加工が多いのは同じだ。晴れても雨でも隠れるところがない屋根職人は危険なのもあって成り手がいない。笹野9:21-2

どこの現場でも板金屋は60代が主力なのは変わらない。足場もないところでも身を乗り出して加工する仕事は慣れても怖い。それもあって板金屋は比較的作業の終わりが早い。疲れると落ちたり滑ったりしやすい。

現場で見るのとマスコミなどが言う職人仕事は違って見える。匠とか技術の高さをメシの種にしている訳ではないからだ。あくまで自分の仕事であり金を稼ぐ手段として職人なのだ。長い修行もそのことで特別な技術を持っているとの認識はあまりない。

稼ぎから言うとサラリーマンの比でない。仕事の空きがある以上年間を通すと大した稼ぎになならない。肉体を酷使するような現場ばかりを選べばどうかわからないが。

叔父は結婚して子供たちを学校に入れて自宅を建てた。それだけで一生かかる一大事業だった。自宅が自分の土地だと思っていたが亡くなって借地だったのを聞いてびっくりした。家すらもなかなか持てないのが現実だ。これでは職人の成り手がないのも頷ける。笹野9:21-7


バーベキュー炉

朝晩はさすがに窓開放だと寒い。早起きすると作業には良い塩梅になってきた。
薪割りも昨年作ったのがまだ余っている。思ったより使わないもので半分以上余った。
作りすぎたと息子には言われる。お客さんに届けるとしてもまだまだ余る。
作業場では次々と出てくるしね。あまり何年も雨晒しでは腐ってくる。

去年リフォームした方から庭の手入れを頼まれる。庭の片隅にバーベキュー用の炉を作りたいと。
レンガを積んで網を渡せばいいのだから簡単そうだ。網の寸法を決めたらひっかるようにすれば良い。
下の炭を入れるところが網からの距離がわからない。近ければ焦げるし遠いと焼けない。
その辺の塩梅が経験者でないとわからない。確か公園のバーバキュー炉は下がコンクリートで2,30センチしか離れていない気がした。

問題は使う機会がどのくらいかだろう。年に1,2回だとわざわざ作るほどでもない気がする。
掃除も大変だろうし臭いもだ。そのそも住宅街でどうなんだろうか。
大金を掛けて隣近所に遠慮して使わなかった何てことになったら…。無駄な気がする。
薪ストーブもだが住宅街ではご近所迷惑も考えないといけない。煙や臭いはどうにもならないからね。


設計の世界—–リフォーム

日本の住宅の寿命は27年と短くアメリカの44年イギリスの75年と比較して消費型の住宅となっている。資源の無駄使いや環境破壊につながり見直しが急務となっている。平成18年の住生活基本法の制定により作って壊すフロー型の社会から長く使うストック重視型へ転換が図られている。

今後は単なる建て替えから、愛着を持って住み続けて世代を超えて長く使うためのリフォームの時代になっている。若い方の中古住宅を購入リフォームして新居とするのが増えている。

中古での購入にはメリットがある。比較的広めの敷地と庭園や塀があって予算も手の届く金額になっている。全面リフォームではインテリアは新築のようになりコストをかけずに住まいが手に入る。

築20年になるとトイレキッチンや浴室などの設備機器、給排水設備は取り替えになる。外壁や屋根も手直しや交換も必要だ。和風から洋風へのモダンなデザイン変更も可能になる。100_1068

リフォームのタイミングとしてはライフステージやライフスタイルの変化と老朽化に伴う維持などがある。機能低下や汚れなどをきっかけに本格的なリフォームになる例が多いようだ。各部分の耐久性や手直し時期は以下の通りになる。

瓦屋根—–50年以上の耐久性がある瓦ですが割れやズレは5年ごとの点検が必要だ。スレート瓦などは20年くらいで寿命になる。

金属屋根—–15年前のカラートタンは錆びや変色で塗り直しが必要だ。それ以降のガルバリウム製はもう少し寿命があるが20年くらいで塗り直しが必要だ。どちらも塗り直すと寿命は短くなり5,6年で再塗装が必要だ。

雨樋—–金属、塩ビ製どちらも20年前後で交換になります。つまりは定期的にチェックが必要だ。
100_0926
外壁のモルタル—–ひび割れは発見次第補修する。20年くらいで仕上げ材の全面吹き替えも必要です。

外壁サイディング—–セメント系は5年くらいしたらシーリングを10年後には全面再塗装も必要です。ガルバリウム系の鉄板は15年くらいで再塗装が必要だ。

外壁の板張り—–5年ごとの点検と劣化が見られれば再塗装が必要になる。20年くらいは保ちます。

柱梁などの構造—–シロアリの害虫被害や雨漏りは早急に手直しが必要だ。リフォームの場合は耐震性を高めるための追加措置が必要です。100_0953

クロス—–個人の趣味嗜好があるので個人差がある。15年から20年で張り替える。

建具—–アルミサッシの寿命は30年くらいあるが断熱を考慮すると高性能樹脂サッシに交換する。

断熱—–一番進歩したのが断熱材だ。グラスウールからウレタンやポリスチレンなどの高性能型に交換する。

設備機器—–トイレ、キッチン、浴室は20年くらいが寿命なので最新型に交換する。仕様により金額の差が大きいので十分な知識と勉強が必要だ。リフォームのメインとなる例がほとんどだ。DSC_0557

耐震性や省エネは一番の目的なので十分に検討し設計しなければならない。耐震性は1981年から2000年の間に建てられた住宅は基礎の仕様、柱梁の接合金物、耐力壁のバランスの検討をしければならない。

省エネは平成26年からポイント制が始まり省エネリフォームで最大30万ポイントもらえる。次世代省エネルギー基準(省エネルギー等級4)には最低でもクリアするようにする。2020年より義務化される低炭素建築物認定には難しいとしても将来的にも省エネのレベルは高くなっていく。