青森県八戸市の一級建築事務所 建築組 パックス有限会社

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こだわりの問題点

午前中はこの前引き渡した現場へ打ち合わせ。午後から作業場で次の現場の材料の選定。いよいよ次の現場がスタートする。土曜日には地鎮祭を予定している。 
 
今週は引き渡しと次の地鎮祭とリフォームの打ち合わせが一度にあった。まだ終わっていないが少々疲れた。業者の手配と図面が同時進行するのでこんがらかる。さらに手直しの現場もあってメチャクチャになる。 
 
当社のような柱表しは割れや隙間がモロに見えてくる。当然気になるから叱責を受ける。たまたま現場があって来ている場合は問題ない。最近付き合いがないのや廃業した場合だ。 
 
代わりの業者を探したり頼み込んで別業者にやってもらう。もちろんタダ働きではないから費用もかかる。以前に比べると材料や工事の仕方にノウハウが溜まるから減ってくる。 
 
10年前とか古い現場が問題だ。業者が廃業したところもこう言うところだ。技術も材料の乾燥も未熟な頃だ。まだ怖いもの知らずなところがあってかなりの冒険もしている。 
 
割れるとか狂うことに対するノウハウが何もない。今であればこんなのはダメとかわかるのだが勢いでやってしまう。逆にそのことがノウハウの元になっている。 
 
お客様に実験台になってもらったことになる。せっせと直すのは当然だろう。特にこだわらなくとも自然素材とか仕上げ方の中には問題が多いのもある。こだわりが失敗の元になる場合だ。その場合で直せるものはやることにしている。


太い柱

季節外れの雪が午後から降る。あっと言う間に一面真っ白になった。年中冬タイヤで過ごすのでそちらは問題がない。坂で夏タイヤに交換した車がぶつかったりしている。 
 
午前中は図面と見積もり、合間に業者が来社したり。リフォームの現場があって見積もりをしている。今年に入ってリフォームが増えている。需要は新築の比ではないとは思っている。 
 
家電店からホームセンターまでどこでもリフォームはやっている。リフォームもピンキリでただ直すだけが多い。新築並みに設計やデザインをするところは少ない。住宅会社だって本音は新築だろう。 
 
当社は曲がり材や太い柱を在庫している。新築ではもちろんリフォームだって使えるところはある。ただ新築と違い構造材としてより飾りの意味合いが強い。強度の問題よりデザイン的なものだ。 
 
どちらにしても杉の角の代わりに太い広葉樹を立てると雰囲気が変わる。そう言う使い方でリフォームを考えるのが古民家リフォームだ。材料と使いこなす技術がなければできない。そこが当社のウリなのだが。CIMG7218


39万キロ

気温が上がり本格的な春。上着も脱ごうかと言う陽気になった。桜も一気に蕾が膨らんで来ただろう。午前中は図面や見積書とか請求書の作成。午後から手直しの現場へ。 
 
昨夜は打ち合わせで施主様のお宅へ行った。夕方だったので帰りは遅くなった。途中でふと気づくとメーターが39万キロを指している。昨年10月の4日に38万キロ突入以来半年ぶりになる。 
 
確か10年ほど前は年間1.8万キロだったから2万キロに増えている。25年で39万キロと言うことは1.5万キロ平均だ。それから考えるとペースが上がって来ている。 
 
25年前は乗用車もあったので距離が伸びなかった。トラックだけになってから20年以上になる。年齢の進行と走行距離が同時になっている。さらにHPの閲覧数とトラックの走行距離が並行して伸びている。 
 
歳をとるにつれて仕事も増え閲覧数と走行距離が伸びたのだ。このまま行ったらどうなるか心配になる。職人不足の折から闇雲に増やせば大変なことになる。そしてもちろん私の体力も保つかどうかだ。 
 
人生100年時代とかで老後も働くことが当たり前になりそうだ。定年のない自営は体力次第で続けることができる。能力の続く限り続けることにやぶさかではないが不安もある。 
 
経験を活かせるところが私の強みだ。目新しいデザインとか流行には不慣れでも古民家風とか経験がなければできないものある。そう言った分野で自分の能力を活かして頑張っていきたいと思っている。
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熱湯温泉

昨日は久しぶりにいつもの温泉へ。湧き水を沸かしているので周辺が今頃膿んで車がエンコする。雪解け水が道路に溢れれるところもある。毎年温泉では砂利を入れるのだがキリがない。 
 
いつも行っていると顔なじみができてくる。近くの銭湯と違って湯温が高く冷めにくい。決して綺麗でもなく設備も古い。4,5年前にサウナは壊れて以来治る気配もない。 
 
さすがに風呂桶とか椅子は綺麗なものに取り替えられた。脱衣場もトイレもここ10年以上変わりはない。変わるものと言えば自動販売機は新しい。これは業者が交換しただけか。 
 
初めて行ったのは30年以上前だ。サラリーマン時代に仕事で近くに来ていた。温泉の看板を見ながら独立するまで入ることはなかった。子供のPTAの会合で良いらしいとの噂を聞き行きたくなった。 
 
初めて行った時はすごく混雑していた。洗い場も待たないとならない。洗い場や浴場まで全て古く汚い印象だった。湯はやたらに熱く飛び跳ねるほどだ。 
 
我慢して入って冷たい水風呂に入るとスッキリするではないか。以来熱湯風呂は癖になってしまった。他で味わうことのない快感だった。 
 
大正時代からあってこんな辺鄙な場所へどうやって行ったものなのか。当時から沸かして入る温泉だったろうか。潰れることもなく営業しているのはそれなりの魅力があるのだろう。近隣の農家が農閑期に湯治に通ったりしたのだろうか。